なかったことにしたくない

人に忘れるという機能を与えた神様は、とってもハイセンスだなと最近思うようになった。

だって、苦しい思いをずっと鮮明に覚えてたら、やってられないでしょう?

でも、もちろん、わーーーこの感覚、忘れたくないなあ、今日という日を、なかったことにしたくないなぁ、って思う時だってある。

いつの日だって忘れたくない、なかったことにしたくないから、という理由で毎日日記をつける友達がいた。

その通りだなぁ、と思い、私も日記をつけ始めた。
去年の夏頃から。だけど、私は継続することが得意ではないから、毎日書くこともあれば、3日おきだったり、どうかしたら1ヶ月間が空いたりする。
それでもなんとか続けているのは、私にとっては奇跡だと思う。

忘れたくないなあと思ったことを書き留めることもあるし、何もない、何気ない1日を書き留めることもある。

だけどついこの間、絶対に、この感情を忘れたくないという出来事があった。
だけど、このようなことがある時って、次から次へと感情のイベントが起こるもので、感情の波に飲み込まれながら、案の定日記を書くのを放棄していた。

それでいて、忘れたくないと願う。
だけど、きっとこの記憶は薄れて、いつかは忘れてしまうのだろう。

だけど、その人の心というか、人としての熟成度というのだろうか、そのようなものは、その人の経験してきた感情の種類によって定まるような気がしている。

忘れてしまうものなのに、それでも人格に影響を与え、人となりを形成していくって、冷静に考えたらすごいことのように感じるのは、私だけだろうか。

記憶しているから自分の一部で、記憶していないから自分じゃない、というわけではない気がする。

そう、ふと思った。

ということで、そんなことを思った今日も、私は日記を放棄する。
いつの間に、完璧でない自分を許せるようになったのだろう、、と思いながら。

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