記憶が与える価値
おはようございます。
私が最近感じていた、ちょっと寂しいなぁと思ったことについて書かせてください。
社会人になる時に、引越しや家具、その他の日用品など、親と一緒に選び、親が買ってくれた。
ちょっとした雑貨を買う時に、親が冗談で、「おばあちゃんからお小遣いもらったでしょ。これは自分で買いなね」と笑いながら言っていて、私も「あ、そうか。私お小遣いもらったし自分で買う。」と納得していたのだけれど、その時なんとも言えない寂しさを感じた。
恥ずかしながらその時初めて、これまでずっと私の身の回りのものは親が働いたお金で成立していたことを改めて自覚した。
「あぁそうか、自立するってことは、自分のものを自分で買えることなんだ」
と妙に感慨深く考えていた。
思い返せばわたしは恵まれていたと思う。
食べ物や服、文房具など、与えすぎだったのではないかというほどに、当たり前のように親は与えてくれた。
甘えていたなぁと、申し訳ないような気持ちと感謝の気持ちで社会人になった。
今年社会に出て4年目になる。
身の回りの服や雑貨はもう大半自分で購入したものになった。
途中でほつれてしまった洋服や履き古した靴は処分して、新しいものを購入した。
その時にふと、親から買ってもらったものには、親と一緒にそれを選んだ楽しい記憶が一緒にあることに気づいて、自分一人で買ったものには自分一人の記憶しかないことに気づいた。
あ!私の寂しさの正体はこれか!!
と妙に納得してしまった。
記憶が与える価値はお金で買えないものなのだ、と。
母が仕事終わりに合流して一緒に買い物をしたこと、スーパーのパン屋さんでパンを買ったりミスドを買ったりして、父が帰ってくる前にこっそり二人で食べたこと、、笑
あの時間が、わたしはとても大好きだった。
当たり前だと思ったら感謝することなのだなぁ、としみじみ思った。
今度は私が、お母さんとお父さんにいろんなものを買おうと思う。
お母さんとお父さんの周りが、優しい記憶で包まれますように。
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