面倒で代替困難な仕事こそ、お金になる
大学で、経済学を習っていた頃、資本主義は「分業」とともに、発生したというの知りました。
「分業は、資本主義の夜明けだぁ~!」と、叫んでいたのを思い出します(若いっ!)。
自分自身を振り返ってみても、よくわかるのですが、得意なこととそうでないことがあるんですね。
それを世間では、「向き・不向き」と言いますが、それは本当にあると思います。
つまり、自分が得意ではなく、面倒臭いなぁと感じていることを、他のそれが得意な人にやってもらえれば、お互いが“win-win”の関係になり、楽しいじゃないですか。
何でも、自分でやる必要はないんですね。
このことを経済学では、「比較優位説」と言って、経済学者であったリカードが唱えたものです。
これは、通常、国際貿易について言われていることですが、通常の自然人(個人のこと)についても、適用できる概念です。
それぞれが得意分野に専念すると、双方に利益がもたらされるという概念です。
作家の橘玲氏は、経済学の概念において、この「比較優位」という考え方と、「機会損失」という考え方については、通常一般生活を送るうえでも、知っておいた方がいいと指摘していました。
※機会損失…営業や販売等の機会を逃すことで、本来得られたはずの利益を失うという「未来的な損失」を指す概念。チャレンジしない人は、この機会損失を自身がいかに被っているか知っておいた方がいいです。
で、比較優位なんですが、自分の得意な分野を中心に仕事は回した方が、不得意な分野を誰かにお願いしたとしても、双方に利益がもたらされるという概念なんですね。
繰り返しますが、この「比較優位」は、資本主義の発生とともに現れた世界的な分業の中で出てきた概念なんです。
だから、「分業は、資本主義の夜明けだぁ~!」につながるんですね。
で、分業社会の中で、自分は何を仕事にしたらいいか、それは「得意なこと」なんですが、その「得意なこと」でも、面倒臭いものこそ、より金銭的対価は支払われるということを知っていただきたいのですね。
だからですよ、大抵の人において、自分の仕事が、「何でこんな面倒臭いことをやらなきゃいけないんだ!」と頭に来ることがあると思いますよね(>_<)。
しかしながら、それは他の人にとっても面倒臭いことであり、たまたま、それが自分の能力的に「比較優位」にある仕事だから、お鉢が回ってきたのですね。
ですので、そういう仕事をやることには、より金銭的対価を得る意味があるんだと理解できます。
また、そう思うことで、多少、腹の虫も収まりますしね(^^)。
しかしながら、そういう仕事が、競争相手が多く参入できるいわゆる“レッドオーシャン”な仕事だったら、経済的対価は、競争により、どんどん安くなってしまいます。
※レッドオーシャン…すでに競合が市場内に多数存在し、競争が激しくなっている市場を表す言葉です。
ですので、望むらくは、他の人にとっては面倒臭く、かつ、参入の難しい代替困難な仕事をするのが、最も金銭的対価を得やすいと考えられます。
みなさんの仕事は、代替が困難な仕事ですか。そうであれば、より一層、それはあなたこそがやる仕事なんですよ。
「何でこんな面倒なことを、私がやらなきゃなんないの!?」と、頭に来たときは、思い出していただくと良いと思いますよ(^^)/。