TVアニメ『チ。』-暗すぎる画面について-
TVアニメ『チ。-地球の運動について-』の画面は、暗すぎる。
もう観ていてシャレにならないほど暗い。幸運なことに、僕はここまで暗いアニメの画面をこれまで観たことがなかった。
画面に何が映っていて、それがどう動いているか……その全てが満足に視認できないほどだ。
「あまりに画面が暗すぎるアニメは、スリープモードと見分けがつかない」とSFの父も言っているように、ここまで画面が暗いと最早アニメを観ている気がしない。夜に井戸の底を覗き込んでいるかのようである。
これは恐らく舞台となっている時代における「夜」のリアルな暗さを表現する演出なのだろうと思う。
(特定のキャラが抱く星空への恐怖感を暗さで表現しているとも解釈できうるかと思ったが、それならばそのキャラクターが登場しないシーンでも暗すぎることについての説明がつかない。)
確かに実際問題として、これがリアルか非リアルかといえば、どっちかというと「リアル」に他ならないのかもしれない。
しかし本当に心から「リアル」を追求したいのであれば、そもそもアニメーション表現なんか見限ってクソの役にも立たない「リアル志向」のドキュメンタリーかぶれ実写映画でも撮っておくべきだと思う。
こんなものはどこまでいっても退屈なリアル風のアニメに過ぎない。
アニメが産む魔術的なまでの魅力に溢れた「リアリティ」とは、似ても似つかぬ贋作だ。こういう作品を観ると心底ガッカリさせられる。
だが同時に、本作におけるこうした暗すぎる画面の妥当性……みたいなものについては想像が出来ないこともない。
しかしそれでも尚、この暗すぎる画面は演出的に不適当だ。だから「妥当性」というよりも「妥当性らしきもの」というのが正しい。
個人の妄想みたいな話だが、以下でその暗すぎる画面を巡る仮定ばかりの妄言を、思うままに書いてみたいと思う。
これは「『チ。』の演出はこういう意図で作られているんだ!」な~んていう優れた批評の足下にも及ばない、オタクの独り言みたいなものだと思って読んで欲しいな、と。
これまで放送された話数を見る限り、『チ。』という作品のキモは間違いなく「天体の美しさ」に魅せられた人々の数奇な運命だろう。
フベルトからラファウへ、ラファウからオクジーやバデーニへ……時間を越えて星空に魅せられた人間達の意思が継がれていく姿に、視聴者は熱いものを感じるのではないか。
数々の人間が星空の美しさに脳を焼かれて禁じられた研究へと踏み込んでいく…その過程を劇的に描くため、本作における「星空」は何よりも美しく描かれるべきだ。
星空を美しく描くためには、その神々しい明るさを印象深く演出することが重要だろう。
となるとオーソドックスだが、夜空の明るさを印象づけるために夜間のシーンは全体的に明度を著しく落とすのが妥当……
とまぁこんな具合に、『チ。』の暗すぎる夜はこのように説明を付けることが出来る。
確かに夜がここまで暗いのならば、星空が登場した瞬間のカタルシスは相応のものが期待できるというものだ!
……これがあまりにもベタな発想であることは分かっている。ベタすぎて照れ臭いまである。
夏の日差し特有の刺すような鋭さを「多角形レンズフレア」で巧みに画面に落とし込んだ大沼心の才気溢れる演出に比べたら、まるでちゃちなおままごとだ。
しかし冷静に考えてみれば、実際のところ「ベタ」はトンチンカンな高尚さよりも優れている。
「ベタ」をキチンとやり切るアニメは往々にして良い作品になるものだ。
『チ。』もこうしたベタさをキチンと徹底出来ていたのならば、もっと面白くなっただろうが…
少なくとも視聴者の自分からすると、夜間シーンの暗さが星空の明るさを印象づけるための布石として機能しているとは、到底思えないというのが正直なところである。
何故かといえば視聴者は星空のカットを目の当たりにする前に、それよりもずっと明るい画面を目にしてしまっているからだ。簡潔に説明していこう。
アニメ『チ。』では衝撃的なシーンにおいて、空間全体を白飛びさせるかのような表現を用いることが多い。
具体的な例を示すならば、異端審問官による拷問まがいのシーンや、地動説についての新事実が明らかになった時など……
キャラクターがショックを受けたり、或いは唐突に展開が動いたりすると使用される演出のようだ。
この演出自体に対して、特に自分から語ることはない。これまたベタすぎるきらいはあると思うが、そう貶めるほどではない。
問題はこの演出が、明度のコントロールが他のどこよりも重要な夜間のシーンにおいても衒いなく用いられるということだ。
先述したように『チ。』における星空は登場人物たちと深く関係するモチーフであり、人々を魅了する悪女のごとき存在だ。
「星空」は他の何よりも視聴者に印象づけたい、最重要モチーフとすら言えるだろう。
だからこそ本作は「星空」へ向かっていく夜間のシーンを、放送事故一歩手前の非常識な暗さに設定することすら厭わなかったのである。
これでもし「星空」へ向かう前後で星空よりも明るいカットが存在したら、それは完全な演出の敗北としか言えないはずだ。
そんなことは絶対にあってはならない。
あったとしたら、演出プランは崩壊だ。
絶対にあってはならなかったのだが……6話でそれは起きた。
夜空が非常に重要なモチーフとなる地動説を巡る会話劇、その途中で地動説の秘密が種明かしされる……というくだり。
『チ。』はいつものノリで「ココ重要ですよ~~~~~~」と空間を眩しく照らしてしまったのである。
しかも執拗に。何度も何度も!
そこにあったのは重要な夜空も視聴者の印象に残らず、ただ見えづらい夜間の会話シーンが残るだけの存在価値が分からない1シーン。
この瞬間、僕はこの作品に対して決定的に冷めてしまった。
次のカット、あまりの絶望でポケモンよろしく「めのまえがまっくらになった」のかと思ったが、普通に『チ。』の画面が暗すぎるだけだった。
僕はアニメ演出家でなく、専門の評論家でもない。ただ毎週アニメを楽しみに生活している一般人に過ぎない。
だからこの考えには大きな間違いも沢山あるだろう。自衛の為の予防線とかじゃなく、本当に心からそう思う。
「この記事の言い分、まるっきり間違ってるよ!」と思ってくれた方はぜひ何らかの方法で僕に教えて欲しい。
自分の失敗を人に指摘してもらえるのが一番成長に繋がるし、他の方の『チ。』に対する意見も気になるところだから。
僕はアニメが大好きで、これからもアニメが世界で一番面白い最強の芸術だと信じていきたい。
どこでも胸を張って「アニメが好きです!」と言い続けられるような生活を、これからもしていきたい。
だからこういう最悪の演出でアニメへの絶望感ばかりを植え付けて、僕をアニメから遠ざけようとするのは止めて欲しいな……と勝手に思ってしまう。頼むからアニメを信じさせてくれよ~~~~~~~
とりあえず『チ。』は、もう金輪際観ないことにする。
こんな辛気くさいアニメ観ないでさ、みんなで大傑作アニメ『フォトカノ』観よ?
宮沢賢治の詩に合わせてヒロインをパンチラさせる唯一無二の傑作なんだよ。つまらん天体の輝きより、今はまず美少女のパンツが観たい。