見出し画像

近所のスーパーが潰れた

先日,近所のスーパー「ミヤモト」が潰れた。不謹慎ながら,よく潰れないなあと思っていたら,いつの間にか潰れていた。潰れた日当日の朝に気づいた。

たまたま朝,ミヤモトの近くのパン屋さんに寄った際に,ミヤモト入口に張り紙がしてあることに気づいた。何だろうと思って張り紙を見てみたら潰れるお知らせだった。破産手続き開始申立てのお詫びという張り紙だった。パン屋さんに寄らなければ気づくのはもっと後になったと思う。

駅の近く(徒歩30秒くらい)のスーパーだったので,たまに仕事帰りに惣菜を買ったり,ビールを買ったりしていた。仕事に行く前にお昼の弁当を買ったりしたときもあった。多くて月に2〜3回の頻度。だからほとんど利用していないと言える。でも潰れるとなったら何か感慨深いものがあった。

「破産手続き開始申立てのお詫び」には感謝と破産理由が書いてあった。

「なくなったら困るから頑張って」と毎日のようにお客さんから言われたから頑張ってきたこと。ここ十数年は,ドラッグストアーのスーパーマーケット化,コンビニの台頭で経営難であったこと。地域の冷蔵庫として地場産品をウリにしていたが,地場産品の直売が広がったり,ディスカウントストアとの競合でさらに経営が悪化していったこと。ダメ押しは軽減税率実施に伴う新規レジ購入の負担,電子マネーの普及。これにより資金繰りが難しく,支払いに必要な資金をついに調達できなくなったこと。

こうやって近所のスーパー「ミヤモト」は潰れた。

地元のスーパーの倒産は地域の衰退を反映しているように感じる。ミヤモトに僕はあまり行かなかったけれど,行ったら必ず誰かに喋りかけられた。ある日,お昼に弁当を買いに行ったとき,行く時間が少し早かったので,ほとんど弁当がなかった。仕方ないからカップ麺にするかと思って,移動して陳列棚を見ていたら,おばあさんに声をかけられた。弁当コーナーにいたときに隣にいたおばあさん。「弁当の陳列はじまったよ」と言いに来てくれた。別の日,仕事の帰りに惣菜とビールを持ってレジに行ったら,「お兄さん若そうに見えるけど,未成年じゃないよね」とレジの店員さんに素敵な笑顔で言われた。絶対未成年ではないとわかっているはずなのに(僕は実年齢より若く見られたことはない),そういう明るい声かけで何だかほっこりした気分になれた。そういう地域の「憩いの場」が一つ消滅した。

憩いとは「冗長」だ。ご飯を食べた後,お茶をする。そのお茶の時間は正直冗長である。ご飯を食べながらお茶したらいい。でも,お茶の時間は「冗長」であることによって憩いになる。旅行なんて行かなくても生きていける。旅行も「冗長」だ。でも旅行に行き,楽しい時間を過ごすことで,旅行は憩いとなる。憩いとは効率化とは逆の働きによって生まれる。

ドラッグストアがスーパー化することによって私たちは効率よく買い物ができる。コンビニがたくさんあることで便利になり,隙間時間に効率よく立ち寄ったりできる。私たちの生活はどんどん便利になり,効率化しているが,その分,憩いはどんどん減っているのだと思う。

上間陽子の連載『海をあげる』の記事「3月の子ども」でこんな話があった。

「どんなに子どもとの時間をつくりあげても、よくわからない上のひとが、私と子どもの時間にわりこんでくる。席をたっている子がいるって指導が入ることがあったけれど、その子は立ちながら私や友だちの話を聞いている。それを知っているから、みんなにこにこ笑うんです。そこへ何も知らない人が入ってくる。今回の休校措置もそうなんです。私と子どもがつくりあげているものを、こうやってだれかが、私たちになにひとつ相談なく入り込んでくる」
(中略)
泣いている彼女にかける言葉はひとつもなく、私たちがいま奪われているのはなんだろうと考える。子どもの日々を知らず、家族の生活を知らず、教師の仕事を知らない誰かの決定によって、ひととひととが重ねる時間が奪われる。4月からの1年間、関係を編み続けた子どもと教師がお互いのことを慈しみあう、そういう3月が奪われる。いままでの苦労のすべてが果報に変わるこの時期に、子どものいない学校に教師は通う。

いろいろな場所で同じようなことが起きている。消費税が10%に上がった。でも,食料品は8%の軽減税率。だからそれに対応できるレジを導入しなければいけない。それによってミヤモトは資金繰りが悪化し破産した。もちろんそれだけが原因ではないとは思うが,トドメの一撃であったことは間違いないであろう。

よく分からない誰かの決定で,私たちの大切な時間が奪われる。憩いがなくなる。初対面のおばあさんとの何気ない交流,店員さんの明るい声かけ,ミヤモトに設置された休憩用の椅子で談笑するおじいさんやおばあさん。

なくなったものを嘆いても仕方がない。何が残っているのかを考えないといけない。でも,何をなくしてはいけないのかも同時に考えなければならない。そのまま残すというだけでなく,形を変えて残る,ということも含めて。変わらずにいるために変わり続ける。そんなことを考えなくても生きてはいけるけど。


近所のスーパーが潰れた。気づいたら潰れていた。遅かったけど,潰れてから気づいたこともあった。

ただそばにいることがサポートなのかなと思っています。また見に来てください。気が向いたときにご支援お願いします。