「薬」というワナ
(2020.07.17に書いたブログ記事を転載したものです)
最近,海外ドラマ『ブル/BULL 心を操る天才』をよく観ています。そのなかのある回で,オキシコドンというオピオイド系の鎮痛剤は,違法薬物(ヘロインなど)依存へとつながりやすいという話がありました。「へー,そうなんだ」と思うとともに,やり切れなさもありました。
その回を観た後に調べたのですが,オキシコドンという鎮痛剤は麻薬取締り法における麻薬です。しかし,鎮痛剤として適正に使用される限りは違法ではありません。その回では,怪我に対する鎮痛剤としてオキシコドンが処方されており,痛みが激しいときにそれを飲んでいたようです。しかし,その登場人物は,薬を飲むことで「心の落ち着き」が得られたために,そのことに依存してしまい,一時オキシコドンの乱用をしてしまったようでした。
なるほど,考えさせられます。
患者は痛みを緩和するために処方された鎮痛剤を飲みます。もちろんそれは合法で,処方する側も患者のためを想って処方していると思います。しかし,実は,それらの行為(処方&その薬を飲む)が,薬物乱用だけでなく,ひいては違法薬物へと手を出してしまうなど別の新たな問題(薬物依存)を生み出してしまう可能性がある。そのように考えると,「薬」の難しさを痛感します。
一方に「治癒(あるいは緩和)」があり,他方に「罹患(あるいは発病)」がある。ある事象を治すためのモノが,別の事象を生じさせる。このときのモノは許されるのかどうか。議論のある問いだと思いますが,少なくともこのモノを改善するように努めることは必須なのではないかと思います。別の事象を生じさせないようにモノ自体を改良するとか,代用できそうな別のモノを利用するとか,何かしらの対策を取れるように最善を尽くすことを忘れてはならないように思います。
この問題が心に残ったのは,心理学にも同様の問題があると考えているからです。たとえば,以前の記事では精神障害を取り上げて考えてみました(詳細は「安心と不安の自作自演:ラベルについて(2)」)。どういうことかと言いますと,精神障害では患者さんの不安という痛みに対して診断という「薬」を処方します。しかし,その不安自体が実は別の「薬」(あるいは心理学という営み)のせいだったと考えられます。このように,薬物乱用問題に関しても,精神障害をむやみに生み出す問題と通底している構造があるので,引っかかってしまったのだろうと思いました。
ある人の「痛み」を緩和することは非常に大事なことだと思います。ですので,「痛み」に対処することも必要ですが,同様に,その対処で本当によかったのか,実はその対処こそが「痛み」を生産しているのではないかなど,自分の行いを反省的に振り返ることも大事なのだろうと思います。その振り返りを怠り,自分の行為は「痛み」に対処していると思うことは慢心でしかないのではないか。そのように反省しながら,「心」を見つめていきたいと思っています。