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感染症は実在しない

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岩田健太郎(2020).感染症は実在しない 集英社インターナショナル

本書紹介 from 集英社インターナショナル

新型コロナウイルスの集団感染が発生した客船、ダイヤモンドプリンセス号に乗り込み(一日で追放)、船内の状況を告発した岩田健太郎医師。その名著『感染症は実在しない』(2009年)を新書化。 ウイルスを見て、患者と病気を見ようとしない日本の医療を糺し、検査や薬の効果への認識のあり方が感染症という現象を生み、パニックにつながることを諭す。結核やインフルエンザなどの感染症も例に、「病気と病気でない人の間」で戸惑う人々に喝!そして正しい理解と知識によって不安からサバイブする道を示す。

*目次*

1 感染症は実在するか
2 病院の検査は完璧か
3 感染症という現象
4 なぜ治療するのか
5 新型インフルエンザも実在しない
6 他の感染症も実在しない
7 メタボ、がん感染症じゃない病気も実在しない
8 関心相関的に考える
9 科学的に、本当に科学的に考えてみる
10医者は総じて恣意的な存在
11価値交換としての医療の価値

本書感想

本書の主張はいたってシンプルです。

「病気は実在しない,現象である」(p.307)

基本的にはこの1点を主張するためだけに様々な事例が引っ張り出されます。ですので,本書を読み解くためには,「実在」および「現象」をきちんと押さえる必要があります。

「実在」とは意識から独立して存在するもの,あるいは,「現象」の背後にある実体を指します。「現象」とは意識できる出来事です。

「コミュ障」で考えてみましょう。「コミュ障」とはコミュニケーションがうまくとれない状態,転じて,そのような人物を表す言葉です。たとえば,異性とうまくコミュニケーションがとれなかったときに,言い訳として「私,コミュ障だから」というように使われたりします。このとき,私は「実在」しますが,「コミュ障」は実在しません。あくまでコミュニケーションがうまくとれない状態(=意識できる出来事=現象)をコミュ障と称しているだけです。しかし,「コミュ障」がコミュニケーションが取れない人物を表すようになると,「コミュ障」は「実在」するように感じてきます。もともとは私(=「実在」)に生じる現象でしかなかった「コミュ障」の意味が転じたことで,「コミュ障」という「モノ」があるように思えてくるわけです(私はどこでも「コミュ障」)。

本書で批判されるのはまさにこの点です。もともとは「現象」でしかなった「コト」が時を経て「モノ」のように感じられてくる。結核(「長い間熱が出て,咳が出て,緑色の痰がでて,ときどき血を吐いて,体重が下がっていってどんどん消耗する,場合によってはそのまま死んでしまう」p.69)という現象の背後に結核菌という「実在」が発見されたことによって,現象であった結核が実在化してしまう(結核とは結核菌が体内から見つかること)。

このように現在病気と呼ばれる「モノ」(=意識から独立して存在するもの)は,本来的には「コト」(=意識できる出来事)である,と。

そして,そのように病気を「モノ」と認識するのは誤りであるだけでなく,デメリットも大きいと著者は指摘します。たとえば,インフルエンザを「モノ」と認識すると(=インフルエンザウイルスによる感染症),たとえ症状が出ていなくとも,インフルエンザを取り除かなければならない=治療しなければならないと考えます(本書ではこれをパターナリズムオートマティズムとして批判します)。しかし,治療=人体に手を加えるのは本質的に身体を傷つける行為であり,身体をより良くするという医療の原則からして,症状が出ていないインフルエンザの治療は果たして本当に良いのかという問いが生まれます。症状がないのであれば,身体に悪影響が出ていないので,わざわざ身体に手を加える治療をするよりも自然治癒の方が自然=人体にとって無害だからです。

ただし,本来的には「コト」であるインフルエンザを「モノ」と考えるからその問いが生まれるのであり,インフルエンザを「コト」(=急速な発熱,悪寒,倦怠感)と捉えれば,そもそも症状が出ていない時点でこの患者はインフルエンザではなくなり,治療の必要もないわけです。

このように,著者曰く,病気を「現象」=意識できる出来事と捉えることは様々なメリットを生みます。その最たるメリットは「医療とは,ある人の生き方の規定,目的に照らし合わせ,それに不都合がある場合に提供される支援のあり方である」(p.303)と医療の意味を再構成できることです。

病気は現象でしかありません。ですので,病気は恣意的に規定できます。たとえば,インフルエンザを急性の高熱と捉えることもできますし,急性の高熱+悪寒とすることもできますし,急性の高熱+悪寒+倦怠感とすることもできます。

そしてこれは医療者だけでなく,自分自身で病気を規定することができることを意味します。身体倦怠感が大敵=病気であり,それをなくして快活に生きることが大事(=ある人の生き方)であれば,それを取り除くために医療を受ける。身体倦怠感は特に問題ないのであれば,わざわざ医療を受けない。要するに,自分がどのように生きたいか(人生の目的)を自分自身で決定し,その目的に合わせて医療を受けるかどうかを決めることができる。そして,医療者と協同してその目的を達成することができる。そのような生き方や医療を享受することが可能になります。これが「病気は現象である」と著者が何回も唱える理由です。

「感染症は実在しない」以外にも著者はいくつかのことを情熱を込めて主張します。たとえば,第9章は「科学的に,本当に科学的に考えてみる」です。その意味で本書は感染症だけの話ではありません。吉と出るか凶と出るかは読者次第です。著者がダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んだ背景が透けて見えるような気がしました。

ページ数から見る著者の力点

本書は12章から構成されています。各章のページ数は以下の通りでした。

図1

本書にとって「感染症は実在しない」は,そのこと自体を主張したいだけでなく,それによって生じる効果,帰結があるから主張されるものでした。すなわち,別の目的(関心)があって「感染症は実在しない」と主張されます。

その別の目的(関心)が,治療とは何か?医療とは何か?ということです。「医療とは,ある人の生き方の規定,目的に照らし合わせ,それに不都合がある場合に提供される支援のあり方」(p.303)であり,ある人が望んだ人生を達成するお手伝いのために治療=支援が実施される。そのためには,感染症は実在しない=現象であると捉える考え方の転換が必要。

本書の主張を大まかに要約すると以上です。

なので,第1章「感染症は実在しない」,第4章「なぜ治療するのか」,第11章「価値交換としての医療の価値」のページ数が多くなっているのかなと思います。

思考のための備忘録

本書では患者が「お上」(医者や国や製薬メーカー)に治療の方針や在り方を丸投げすることを批判し,患者自身(ひいては人民)が「自分で自分の生き方を決めよう」と説きます。この主張を読んで気になったことは2点です。

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