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統計的差別

(2020.07.10に書いたブログ記事を転記したものです)

 山岸(1992)論文を読みました。詳細な内容紹介は先日のブログをご覧ください(もはや論文そのものを読んだ方がいいのでは?というレベルです)。

 同論文は全体として面白かったのですが,「統計的差別」の分析例は,たとえば,近年見られる女性管理職の割合を〇〇にするといったアファーマティブアクションの理論的根拠に関連しており,興味を惹かれました。この分析例を山岸に基づき紹介するとともに,なぜ数値目標の理論的根拠になりうるのかについて少し考えてみたいと思います。

山岸による「統計的差別」の紹介

 「統計的差別」は,経済学者Thurow(1975)による分析です。この議論を簡単に要約するのは困難であると山岸は言います。しかし,その要点は,「雇用者は労働者の現時点での能力を市場で購入するのではなく,労働者が仕事をしてゆく中で獲得する能力を考慮に入れて雇用の決定をする,つまり雇用者は労働者の雇用にあたり訓練費用を重視するという点に,雇用(および昇進)の決定に際しての差別の原因が存在している」ことであると述べます。つまり,雇用者は現時点で把握できる能力ではなく,現時点ではわからない労働者の将来性(ポテンシャリティー)に投資しており,そこに差別の原因があるとするわけです。

 どういうことでしょうか。まず,労働者その人自身の将来性はよくわからないけれど,その労働者が属する集団(民族,性別,出身校等)全体に関しては,過去の統計から投資効果を測定することができます。たとえば,私の将来性はわからないけれど,筑波大学大学院の出身者はこれまでに〇〇であったとか,沖縄出身者の幹部率は〇〇みたいな形で,私自身に対する投資効果を間接的に算定できるわけです。なので,企業利益を重視する雇用者であれば,たとえ特定の集団の成員に対して全く偏見を持っていなくても,統計的に見て不利な投資対象である集団からの採用を差し控えるのが合理的な選択となります。山岸ではその例として,腰掛け的な就職をする女性が,キャリアを目指す女性の足を引っ張っているという議論をあげています。ある女性(キャリアを目指す女性)の将来性はわからないけれど,過去の女性(これまで就職してきた女性,腰掛け的な就職する女性を含む)は結婚・出産を機に仕事を辞めるとか昇進を望まないとか,そういう過去の統計が,ある女性の将来性を経営者にとって負に見積もらせ,ある女性のキャリアにとって妨害になるということです。

 そして,同様な論理は,差別を受ける労働者の側にもあてはまると言います。統計的に見て投資効率の悪い集団の成員にとっては,いくら個人で努力し自分自身に投資したところで,その集団に属しているという事実により,その投資の効率が悪くなってしまいます。その例として高等教育が挙げられていますが,たとえば,男性の場合,大学教育を受けることで,将来年収は上がっていく一方,女性の場合,大学教育を受けてもそこまで将来年収は上がらないということがあります。すなわち,投資効率の悪い集団とみなされている女性の場合,いくらAさんが努力して投資(高等教育を受ける)したところで,女性であるという事実ゆえに,高等教育の効率(将来年収の増加)が悪くなってしまうわけです。そのため,不利な集団に属する労働者は,自己の雇用機会を増大させるための自己への投資を差し控えることになり,雇用者にとってその集団成員への投資をより一層不利なものとすることになるそうです。

 このような「統計的」基盤を重視しているために,アメリカにおける機会均等法は少数民族に対する雇用機会の強制的割り当て(クォータ・システム)を採用しているそうです(※)。差別の合理的基盤が存在する限り,たんなる意識改革によって差別をなくすのは困難であり,差別の合理的基盤をなくすためには,統計的事実そのものを変える必要があるという認識が,クォータ・システムの理論的根拠だそうです。

(※)アメリカではクォータ制は違憲という論文もありました。この論文では教育(入試)の場合が主に論じられていますが,雇用でもそうであるように思います。

クォータ・システムは統計的事実を変える?

 統計的事実を変えることで差別の合理的基盤がなくなるのはわかります。たとえば,特定の集団が非効率的だという統計的事実が変われば,その集団を差別する合理的基盤がなくなります。そのために,クォータ・システムを採用して,統計的事実を変えようしているということなのだと思いますが,クォータ・システムを採用してなぜ統計的事実が変わるのかについては,直感的にわかるような気もする一方で,よく考えるとわからないような気もしてきました。整理のために,少し考えてみたいと思います。

 たとえば,女性のキャリアで考えてみます。日本の女性のキャリアは一般的にM字型と言われていました。若い頃に正規の職に就くも,結婚・出産を機に退職し,子育てが落ち着いた頃にパートあるいは非正規として再就職するというキャリアです。この統計的事実,つまり女性は30代前後で一度退職するという事実をもって,女性を管理職に(あるいは昇進)させるくらいなら,男性を管理職に(あるいは昇進)した方が会社にとって長期的なメリットがあると判断され,男性ばかりが管理職になったとします。そうすると女性は,どれだけ働いても昇進しにくくなり,働くことへの投資が減り,ますます腰掛け的な就職が増えていき,当初の統計的事実がますます確定されます。しかし,たとえば,30代前後での女性の就業率を◯%以上保つ,などの基準を設定し,結婚・出産を機にやめなくてもいいようなシステムを作ることができれば,つまり,女性は30代前後で一度退職するという統計的事実を変えられれば,会社にとって女性よりも男性を管理職に(あるいは昇進)させる方が良いと判断する根拠がなくなり,(単純に考えると)女性の管理職率も上がり,女性は働くことへの投資も増えるという構造になると考えられます。これがクォータ・システム採用の根拠かなと思います。

 別の例でも考えてみます。キタガワ集団とニシガワ集団という架空の例です。A社にはキタガワ集団の成員とニシガワ集団の成員どちらも同人数が所属していますが,製品売り上げ(いわゆる業績)という観点からみたとき,キタガワ集団の成員の方がニシガワ集団よりも1.5倍の業績があることがわかりました。そうすると,A社はキタガワ集団の成員を採用したいと思いますし,昇進させたいと思うでしょう。そのような判断をする統計的事実もあります。クォータ・システムの採用によってこのような統計的事実を変えることができるのかというと,おそらくできないのではないかと思います。

 要するに,統計的事実には,クォータ・システムを採用することで変わる性質のものと,変わらない性質のものがあるということです。クォータ・システムを採用して統計的事実が変わるのかどうかについてわかるようなわからないような気持ちになったのは,どのような統計的事実かという側面を考慮に入れていなかったために感じた違和感なのだと思います。

 ただし,架空の例で取り上げた業績に1.5倍の差があるというのは,あくまで理想状況を想定した場合です。現実には,業績をあげるために色々な活動をしますが,その中で特定の集団が非優遇(差別)され,その結果,見かけ上業績に差があるということも起こりえます。そう考えると,クォータ・システムの理論的根拠となりうる統計的事実とは,人口統計学的変数(※)に関するものであり,そうでない変数(業績とか態度とか)に関してはあてはまらないのかもしれないと思いました。

(※)どのような変数が人口統計学的変数なのかという問題もあるかもしれません。

余談:アファーマティブアクションの問題

 ちなみに,差別是正に対する積極的な活動をアファーマティブアクションと言いますが,クォータ・システムもその一例です。基本的には少数派に対する差別の是正ですが,アファーマティブアクションには問題点もあるとされています。

 あるサイトによると,2つの問題点があるそうです(2つしかないという意味ではないと思います)。ただし,以下に書きますが,そのうちの1つは問題点ではないと思います。

1.逆差別=マジョリティに対する差別を生む

 そもそも差別は,ある集団を優遇した結果,別の集団が不利になっているという現象だと考えると,差別されている集団を優遇すると,もともと差別されていなかった集団が不利になるということは起こりえることかなと思います。これをどのように解消するかは確かに考えなければいけない問題かと思います。

2.個人の能力が軽視される

 これは正直,少し的外れかなと思います。もちろん行き過ぎたアファーマティブアクションでは,個人の能力が軽視されると思いますが,そもそも差別自体が個人の能力を軽視しているので,これはアファーマティブアクションの問題ではないでしょう。

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仲嶺真
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