見出し画像

ソール・ライター展行ってきた。

特にもとから行くつもりだった訳ではなく、珍しく渋谷で用事があって、その前の用事との合間の時間潰しのつもりで、久しぶりのBunkamuraに行ってきた。

ニューヨークが生んだ伝説
写真家 ソール・ライター展

予備知識ゼロで出掛けたので何の期待もなかったんだけど、なかなか面白い展覧会だった。写真展の割にはお客も多かったように思う。

ソール・ライターは1950年代に頭角を現し、主にファッション写真の撮影により生計を立てつつ、自身が住んだイーストビレッジで独特なスナップ写真を撮り続けた写真家で、80〜90年代にはほぼ忘れられた存在だったのが、2006年に出版された初期作品の写真集により再評価を受け、2012年にはドキュメンタリー映画も作られた写真家だそうだ。2013年没。

展示は初期の白黒のファッション写真から始まり、最初のうちは「されおつなファッション写真だなぁ」「銀塩写真はやっぱいいなぁ」「構図とコントラストがカッコいい」ぐらいの感想しか持たずに眺めていったんだけど、徐々に独自の構図に引き込まれていく。

浮世絵やナビ派の絵を愛したという彼は、写真のほかに絵も描いたが「あーナビ派好きなんだな」っていうの、色の選び方ですっごくわかる感じ。

なんかわかる感じあるよねぇー。

アート写真というものは白黒で、カラー写真はそれより一段劣るみたいなイメージのあった時代に、ソール・ライターは他の人に先駆けカラーで芸術写真を撮っていた。その「色」への偏見のなさは、写真家かつ画家という本人の二重のキャラクターに依っていたんだろうな。

体のパーツのみにフォーカスした人物写真とか、ガラスへの写り込みやドアや窓の隙間、天蓋の下から撮られる写真の構図には浮世絵的な大胆さがあって、日本人好みだと思う。

これ↑とか、禅か!鈴木大拙か!みたいな感じある。

写真というのは絵に比べて、鑑賞者の意識が散りやすい芸術だと個人的に思っていて、それはマチエールの存在感がはっきりとしている絵画に比べて、ともすれば媒体としての存在感が鑑賞者に意識されず、「何が」見られそこに切り取られているのかということだけにフォーカスしてしまいがちだからじゃないか、と思う。でも実際には、写真も絵と同じく「どのように」見られそこに定着されたかということが全てだと思う。

絵画は一般的に写真に比べて素材と格闘する時間が長いから、画家の「どのように」が強く出る。一方、写真はというと、瞬きのような一瞬が勝負で、うっかりすると作品の成立も偶然みたいに思われてしまう。

でも、放っておいたら一瞬で過去になってしまう世界の美しさに気づいてシャッターを切れるってことが、写真家であるということなんだろうなーと思う。(そこでやり損ねたことは基本的にもう2度とできなくて、ものすごい勢いで過去に追いやられてしまう。)

絵画がレスリングなら写真は合気道みたい。その中でも特にソール・ライターの作品は、ブレのない切れ味の鋭い武道の技みたいだと思う。

という意味では、最後の方にチラッとあった、1950年代に撮られた恋人たちのヌードに1990年代にペイントを施した作品群も面白かったです。異種格闘技だし、こんな風に時間を置いて過去の自分の眼差しに向き合うってどんな感じなんだろう、と興味が湧いた。

展覧会にあわせて日本語版の写真集も出ているので、そちらもオススメ。これは会場で購入すると、ランダムですが絵葉書一枚つきます。私はこれをもらいました。

でもやっぱり、できれば会場でいいプリントでご覧になるといいと思います。関西にも巡回するらしいのでお近くの方はお楽しみに!

あと、女性の方は特にカーディガンとか何かはおるもの持って行った方がいいと思います。作品を守るために会場温度がわりと低めに設定されてるので、夏服で行ったら寒いかもです。

#アート #写真 #ソールライター #Bunkamura #美術館 #写真展




いいなと思ったら応援しよう!