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和樂web正親町(おおぎまち)天皇 記事のこぼれ話~昔も今もソーシャルディスタンスは大事
前回、戦国時代の正親町(おおぎまち)天皇の記事を紹介しました。
写真は正親町天皇の葬儀が行われた泉涌寺。
書きたことがたくさんあった中、割愛したものの中から1つ紹介します。
豊臣秀吉の関白宣下のときのこと。記事は信長とのやり取りをメインにしたため、割愛しました。
1585(天正13)年7月、正親町天皇は、秀吉を関白に任命。その後、それに対する儀式や宴が行われます。その際の座次(席順)を巡り、皇族達が争い宴を欠席。秀吉からしたら、自身のめでたい席に水を差されてたまったものではありません。
正親町天皇が、座次の上下が明確とならない「隔座」とすると定め、秀吉が意向を皇族に伝える形を取り、何とか騒ぎは収まりました。
信長が朝廷と距離を置きたかったのは、こういうところかなと思いました。
対して秀吉のオロオロした態度と、天皇に「何とかしてください」と懇願しているのが目に浮かびます。
「隔座」とは、今風に言えば「ソーシャルディスタンス」。適度に距離を置くことは、もめ事を解消する一つの方法かもしれません。
変な例ですけど、歴史を振り返るのは人の生き方を振り返ることなのかなと思いました。