人間性回復の道 "愛するということ2/4"
愛の定義と本質に伴う能動性と生産性
昨日はフロムの思想的背景に触れながら、本書に至るまでのプロセスを紐解いてきました。今日からは実際に本書の内容に入っていきます。フロムの愛の理論の独自性は、まず愛を単なる感情や情動ではなく、能動的な力として定義した点にあります。
『愛するということ』の冒頭で、フロムは次のように述べています。
この定義は、愛を受動的な状態や感情としてではなく、積極的な行為として捉えています。フロムにとって愛は、「与える」という行為を通じて実現される生産的な活動なのです。
哲学者のマルティン・ハイデガー(1889-1976)の存在論的思考との類似性を指摘する研究者もいます。ハイデガーの「気遣い(Sorge)」の概念と、フロムの愛の概念には共通点があるとされています。哲学者のヒューバート・ドレイファス(1929-2017)は次のように述べています。
愛の諸相としてのエロス、フィリア、アガペー
フロムは愛を一元的に捉えるのではなく、その多様な形態を認識していました。特に、古代ギリシャの愛の概念を参照しながら、エロス(性愛)、フィリア(友愛)、アガペー(無私の愛)という3つの愛の形態を区別しています。
エロスについて、フロムは単なる性的欲求ではなく、全人格的な結合への欲求として捉えています。彼は、プラトンの『饗宴』におけるエロス論を現代的に再解釈し、エロスを人間の最も根源的な結合への欲求として位置づけています。
フィリアは、友情や同胞愛を意味し、相互理解と尊重に基づく愛の形態です。フロムは、アリストテレスの友愛論を参照しつつ、現代社会における真の友情の重要性を強調しています。
アガペーは、無条件の愛、すなわち見返りを求めない愛を指します。フロムは、キリスト教的な隣人愛の概念を批判的に継承し、人類愛としてのアガペーの重要性を説いています。
哲学者のポール・リクール(1913-2005)は、フロムの愛の多元的理解について次のように評価しています。
自己愛と他者愛の弁証法
フロムの愛の理論において特筆すべきは、自己愛と他者愛を対立するものとしてではなく、相互に補完し合うものとして捉えている点です。フロムは、健全な自己愛なくして真の他者愛はありえないと主張しました。
この見解は、伝統的なキリスト教倫理や近代的な利他主義の考え方とは一線を画すものです。フロムは、自己否定や自己犠牲を美徳とする考え方を批判し、自己と他者の統合的な愛の重要性を説きました。
フロムは本書の中で次のように述べています。
この視点は、精神分析学者のハインツ・コフート(1913-1981)の自己心理学とも共鳴するものではないでしょうか。
愛の実践と人格の成熟
フロムにとって、愛は単なる感情や状態ではなく、実践的な技術でした。彼は、愛する能力は訓練と努力によって培われるものだと考えました。この視点は、愛を神秘的な力や運命的な出来事として捉える一般的な見方とは大きく異なります。
フロムは、愛の実践のための具体的な要素として、規律、集中力、忍耐、最高の関心を持つこと、などを挙げています。これらの要素は、単に恋愛関係だけでなく、あらゆる形態の愛に適用されるものです。
さらに、フロムは愛の実践と人格の成熟を密接に結びつけています。彼にとって、真の愛の能力を獲得することは、成熟した人格の形成と同義でした。この点で、フロムの愛の理論は、単なる関係性の理論を超えて、人間の全人格的な発達の理論としての側面を持っています。
心理学者のアブラハム・マズロー(1908-1970)は、フロムの愛の実践と自己実現の概念との類似性を指摘し、次のように述べています。
愛と疎外、現代社会批判としての愛の理論
フロムの愛についての理論は、単なる個人的な関係性の問題を超えて、現代社会全体に対する批判的分析としての側面を持っています。フロムは、資本主義社会における人間疎外の問題を深く認識し、その克服の手段として愛の実践を位置づけました。
フロムは、現代社会における人間関係の商品化、個人主義の行き過ぎ、そして真の人間的つながりの喪失を鋭く批判しています。彼にとって、真の愛の実践は、このような社会的病理に対する解毒剤としての役割を果たすものでした。
社会学者のジグムント・バウマン(1925-2017)は、フロムの愛の理論の社会批判的側面について触れています。
▼洋書ですが読める方にはおすすめです。
今日はいよいよフロムの『愛するということ』の核心概念と哲学的基盤について詳細に見てきました。フロムの愛の理論は、単なる感情論や関係性の理論を超えて、人間存在の本質、社会批判、そして人格の成熟に関する包括的な哲学として理解することができることが伝わったのではないでしょうか。明日も、この理論が社会や心理学にどのような影響を与えたかを探っていくことで一緒に考えを深めていきましょう。
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