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人間性回復の道 "愛するということ2/4"

愛の定義と本質に伴う能動性と生産性

 昨日はフロムの思想的背景に触れながら、本書に至るまでのプロセスを紐解いてきました。今日からは実際に本書の内容に入っていきます。フロムの愛の理論の独自性は、まず愛を単なる感情や情動ではなく、能動的な力として定義した点にあります。

『愛するということ』の冒頭で、フロムは次のように述べています。

「愛とは、他者の生命と成長に積極的な関心を持つことである。愛がないところでは、この関心が欠如しているため、人は他者に無関心になるか、支配しようとするか、搾取しようとするか、あるいは破壊しようとする」

フロム『愛するということ』1956年

この定義は、愛を受動的な状態や感情としてではなく、積極的な行為として捉えています。フロムにとって愛は、「与える」という行為を通じて実現される生産的な活動なのです。

哲学者のマルティン・ハイデガー(1889-1976)の存在論的思考との類似性を指摘する研究者もいます。ハイデガーの「気遣い(Sorge)」の概念と、フロムの愛の概念には共通点があるとされています。哲学者のヒューバート・ドレイファス(1929-2017)は次のように述べています。

「フロムの愛の概念は、ハイデガーの『気遣い』の概念と深い関連性を持っている。両者とも、他者や世界への能動的な関与を人間存在の本質的な特徴として捉えている点で共通している」

ドレイファス『存在と時間の解釈』1991年

愛の諸相としてのエロス、フィリア、アガペー

 フロムは愛を一元的に捉えるのではなく、その多様な形態を認識していました。特に、古代ギリシャの愛の概念を参照しながら、エロス(性愛)、フィリア(友愛)、アガペー(無私の愛)という3つの愛の形態を区別しています。

エロスについて、フロムは単なる性的欲求ではなく、全人格的な結合への欲求として捉えています。彼は、プラトンの『饗宴』におけるエロス論を現代的に再解釈し、エロスを人間の最も根源的な結合への欲求として位置づけています。

フィリアは、友情や同胞愛を意味し、相互理解と尊重に基づく愛の形態です。フロムは、アリストテレスの友愛論を参照しつつ、現代社会における真の友情の重要性を強調しています。

アガペーは、無条件の愛、すなわち見返りを求めない愛を指します。フロムは、キリスト教的な隣人愛の概念を批判的に継承し、人類愛としてのアガペーの重要性を説いています。

哲学者のポール・リクール(1913-2005)は、フロムの愛の多元的理解について次のように評価しています。

「フロムの功績は、愛の多様な形態を統合的に理解しようとした点にある。彼は、エロス、フィリア、アガペーを対立的に捉えるのではなく、相互補完的な関係にあるものとして描き出した。これは、愛の全体性を把握しようとする哲学的試みとして高く評価できる」

リクール『他者のような自己自身』1990年

自己愛と他者愛の弁証法

 フロムの愛の理論において特筆すべきは、自己愛と他者愛を対立するものとしてではなく、相互に補完し合うものとして捉えている点です。フロムは、健全な自己愛なくして真の他者愛はありえないと主張しました。

この見解は、伝統的なキリスト教倫理や近代的な利他主義の考え方とは一線を画すものです。フロムは、自己否定や自己犠牲を美徳とする考え方を批判し、自己と他者の統合的な愛の重要性を説きました。

フロムは本書の中で次のように述べています。

「他人を愛する能力は、自分自身を愛する能力にかかっている。...自己愛と他者愛は対立するものではない。むしろ、他者を愛することができる人は誰でも、自分自身をも愛することができるのである」

フロム『愛するということ』1956年

この視点は、精神分析学者のハインツ・コフート(1913-1981)の自己心理学とも共鳴するものではないでしょうか。

「フロムの自己愛と他者愛の統合という考えは、健全な自己の発達という観点から見ても極めて重要である。健全な自己愛は、他者との共感的な関係を可能にし、真の他者愛の基盤となる」

コフート『自己の分析』1971年

愛の実践と人格の成熟

 フロムにとって、愛は単なる感情や状態ではなく、実践的な技術でした。彼は、愛する能力は訓練と努力によって培われるものだと考えました。この視点は、愛を神秘的な力や運命的な出来事として捉える一般的な見方とは大きく異なります。

フロムは、愛の実践のための具体的な要素として、規律、集中力、忍耐、最高の関心を持つこと、などを挙げています。これらの要素は、単に恋愛関係だけでなく、あらゆる形態の愛に適用されるものです。

さらに、フロムは愛の実践と人格の成熟を密接に結びつけています。彼にとって、真の愛の能力を獲得することは、成熟した人格の形成と同義でした。この点で、フロムの愛の理論は、単なる関係性の理論を超えて、人間の全人格的な発達の理論としての側面を持っています。

心理学者のアブラハム・マズロー(1908-1970)は、フロムの愛の実践と自己実現の概念との類似性を指摘し、次のように述べています。

「フロムの愛の実践の概念は、私が提唱する自己実現の概念と多くの共通点を持っている。両者とも、人間の潜在的可能性の実現を目指すものであり、それは単なる個人的な満足を超えて、他者や社会との調和的な関係の中で達成されるものなのだ」

マズロー『人間性の最高価値』1967年

愛と疎外、現代社会批判としての愛の理論

 フロムの愛についての理論は、単なる個人的な関係性の問題を超えて、現代社会全体に対する批判的分析としての側面を持っています。フロムは、資本主義社会における人間疎外の問題を深く認識し、その克服の手段として愛の実践を位置づけました。

フロムは、現代社会における人間関係の商品化、個人主義の行き過ぎ、そして真の人間的つながりの喪失を鋭く批判しています。彼にとって、真の愛の実践は、このような社会的病理に対する解毒剤としての役割を果たすものでした。

社会学者のジグムント・バウマン(1925-2017)は、フロムの愛の理論の社会批判的側面について触れています。

「フロムの愛の理論は、単なる個人的な感情の問題を超えて、現代社会の構造的問題に切り込むものだ。彼は愛を、疎外された社会関係を回復し、真の人間的つながりを取り戻すための手段として捉えている。これは、個人の心理と社会構造を統合的に理解しようとする試みとして高く評価できる」

- "Fromm's theory of love goes beyond mere personal emotions to address the structural problems of modern society. He views love as a means to restore alienated social relationships and regain true human connections. This can be highly regarded as an attempt to comprehensively understand both individual psychology and social structures."

バウマン『リキッド・ラブ』2003年

▼洋書ですが読める方にはおすすめです。

 今日はいよいよフロムの『愛するということ』の核心概念と哲学的基盤について詳細に見てきました。フロムの愛の理論は、単なる感情論や関係性の理論を超えて、人間存在の本質、社会批判、そして人格の成熟に関する包括的な哲学として理解することができることが伝わったのではないでしょうか。明日も、この理論が社会や心理学にどのような影響を与えたかを探っていくことで一緒に考えを深めていきましょう。


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