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ウェルビーイング・エコノミーの時代へ "わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために 4/4"

集合的ウェルビーイングの概念

 『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』の最終部では、個人のウェルビーイングを超えた「集合的ウェルビーイング」の概念が提示されています。著者らは、個人のウェルビーイングと社会全体のウェルビーイングが密接に関連していることを強調し、両者を統合的に捉える必要性を説いています。

集合的ウェルビーイングの概念は、日本の伝統的な「和」の思想や、仏教の「縁起」の考え方にも通じるものです。個人が他者や環境と切り離せない存在であるという認識は、日本的なウェルビーイングの特徴の一つとして本書で繰り返し強調されています。

哲学者の出口康夫氏は本書の中で、「われわれとしての自己」という概念を提唱しています。

「ウェルビーイングの主体は、『自己』としての「われわれ」に他ならない。ウェルビーイングとは、何よりもまず『われわれ』の状態なのである。」

出口康夫氏

この考え方は、個人主義的なウェルビーイング概念を超えて、社会全体のウェルビーイングを考える基盤となっています。

持続可能性とウェルビーイング

 集合的ウェルビーイングの概念は、持続可能性の問題とも密接に関連しています。本書では、個人や現在世代のウェルビーイングだけでなく、未来世代や地球環境全体のウェルビーイングも考慮に入れる必要性が指摘されています。

環境倫理学者のアルネ・ネスの「ディープ・エコロジー」の思想が引用されています。

「人間は自然の一部であり、自然の繁栄なくして人間の繁栄はありえない」

アルネ・ネス『ディープ・エコロジーとは何か』1989年

著者らは、この思想を現代のウェルビーイング概念に統合することの重要性を強調しています。環境保護や持続可能な開発が、単なる倫理的義務ではなく、人間のウェルビーイングにとって不可欠な要素であるという認識が示されています。

グローバル・ウェルビーイングの課題

 本書では、ウェルビーイングをグローバルな視点で捉えることの重要性も指摘されています。国境を越えた問題が増加する中、一国のウェルビーイングだけを考えることの限界が示されています。

特に、気候変動や感染症の問題は、グローバルなウェルビーイングに大きな影響を与える要因として挙げられています。これらの問題に対処するためには、国際的な協力と連帯が不可欠であると著者らは主張しています。

国連の持続可能な開発目標(SDGs)も、グローバル・ウェルビーイングを実現するための重要な枠組みとして紹介されています。SDGsの17の目標が、いかに相互に関連し、全体としてグローバルなウェルビーイングの向上を目指しているかが解説されています。

文化的多様性とウェルビーイング

 グローバル・ウェルビーイングを考える上で、文化的多様性の尊重も重要な課題として本書で取り上げられています。ウェルビーイングの概念や実践方法が文化によって異なることを認識し、それぞれの文化に根ざしたアプローチを尊重することの重要性が強調されています。

文化人類学者のクリフォード・ギアーツの言葉が引用されています。

「文化は、人間が自分自身を理解し、世界を解釈するための意味のシステムである」

クリフォード・ギアーツ『文化の解釈学』1973年

著者らは、この視点に立ち、グローバルなウェルビーイング政策を推進する際には、文化的多様性を尊重し、ローカルな文脈に適応させることの重要性を指摘しています。

テクノロジーとグローバル・ウェルビーイング

 テクノロジーの発展がグローバル・ウェルビーイングに与える影響についても、本書では深い考察がなされていました。一方で、テクノロジーがグローバルな格差を拡大させる可能性も指摘されています。デジタル・ディバイドの問題や、AIの発展による雇用の不安定化などが、グローバル・ウェルビーイングの実現を阻害する要因として挙げられています。

これらの課題に対処するため、著者らは「包摂的テクノロジー」の概念を提案しています。これは、テクノロジーの恩恵をすべての人々が享受できるようにすることを目指すアプローチです。具体的には、低コストのスマートフォンの普及や、無料のオンライン教育プラットフォームの拡充などが例として挙げられています。

ウェルビーイング・エコノミーの構築

 本書の最後では、従来の経済システムを超えた「ウェルビーイング・エコノミー」の構築が提案されています。これは、GDPの成長だけでなく、人々のウェルビーイングや環境の持続可能性を中心に据えた経済システムを指します。経済学者のケイト・ラワースの「ドーナツ経済学」の概念が紹介されています。

「経済活動は、社会の基盤を損なうことなく、かつ地球の環境容量を超えないように行われるべきである」

ケイト・ラワース『ドーナツ経済学が世界を救う』2017年

著者らは、このような新しい経済モデルが、個人、社会、そして地球全体のウェルビーイングの向上につながると主張しています。

具体的な政策提言としては、以下のようなものが挙げられています。

  1. ウェルビーイング指標の導入と活用

  2. 循環型経済の促進

  3. ベーシックインカムの検討

  4. 労働時間の短縮と余暇の充実

  5. 教育システムのウェルビーイング志向への転換

これらの政策は、経済成長と環境保護、個人のウェルビーイングと社会の持続可能性のバランスを取ることを目指しています。

未来のウェルビーイング研究の方向性

 本書の結論部分では、未来のウェルビーイング研究の方向性について考察がなされています。著者らは、以下のような研究テーマの重要性を指摘しています。

  1. 学際的アプローチの深化:心理学、社会学、経済学、環境学、情報科学など、多様な分野の知見を統合したウェルビーイング研究の推進。

  2. 長期的視点の導入:現在世代だけでなく、未来世代のウェルビーイングも考慮に入れた研究の必要性。

  3. 文化比較研究の拡充:異なる文化圏におけるウェルビーイングの概念や実践の比較研究。

  4. テクノロジーとウェルビーイングの関係性の解明:AI、VR、ウェアラブル技術などが人々のウェルビーイングに与える影響の継続的な研究。

  5. 集合的ウェルビーイングの測定方法の開発:個人を超えた集団や社会全体のウェルビーイングを適切に評価する手法の確立。

著者らは、これらの研究を通じて、より包括的で実効性のあるウェルビーイング政策の立案が可能になると期待を示しています。

わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために

 『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』は、ウェルビーイングという概念を個人レベルから地球規模まで多角的に捉え、その実現に向けた具体的な方策を提示しています。本書の特徴は、日本的な文脈を考慮しつつ、グローバルな視点も取り入れている点にあります。

著者らは、ウェルビーイングの追求が単なる個人の幸福追求にとどまらず、社会全体の持続可能性や地球環境の保全にも寄与するという、より包括的な ビジョンを提示しています。また、テクノロジーの発展がもたらす可能性と課題を冷静に分析し、人間中心のテクノロジー開発の重要性を強調しています。

本書は、学術的な厳密さと実践的な提案のバランスが取れており、研究者から政策立案者、一般読者まで幅広い層に洞察を提供しています。ウェルビーイングという複雑で多面的な概念を、思想、実践、技術の観点から総合的に論じた本書は、今後のウェルビーイング研究と実践の重要な指針となるでしょう。

最後に、著者らは読者に対して、ウェルビーイングの実現が一人一人の意識と行動から始まることを強調しています。個人のウェルビーイングと集合的ウェルビーイングの両立を目指し、日々の生活の中でできることから始めていくことの重要性が説かれています。本書は、ウェルビーイングという壮大なテーマに対する個人の関わり方を示唆することで、読者一人一人にアクションを促す力強いメッセージで締めくくられています。


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