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正義の理論的基礎―功利主義とリバタリアニズム"これからの「正義」の話をしよう1/3"

正義について深く掘り下げる

 マイケル・サンデル(Michael J. Sandel)の『これから正義の話をしよう』(原題: Justice: What's the Right Thing to Do?)は、2009年に出版された哲学書で、現代社会における正義の概念を再考する画期的な著作です。ハーバード大学での人気講義をもとに書かれたこの本は、哲学的概念を平易に解説しつつ、私たちの社会に根ざした正義の問題を深く掘り下げています。

サンデルは、功利主義、リバタリアニズム、カント主義、アリストテレス的な徳倫理学など、様々な倫理的アプローチを取り上げ、それらが現代社会の道徳的ジレンマにどのように応用されるかを示します。彼の議論は、単なる理論の解説にとどまらず、社会問題や政策決定において、どのように私たちが自ら考え、判断するべきかを読者に問いかけています。

今回は、本著を次の3つの部に分けて考察していきます。

  1. 正義の理論的基礎:功利主義とリバタリアニズム

  2. 自由と平等の問題:カント主義と社会契約論

  3. 共同体主義と現代社会への応用

これらの考察を通じて、正義の概念がいかに多面的で複雑であるかを理解し、現代社会が直面する倫理的課題に対してより深い洞察を得ることができるでしょう。

功利主義の基本原理

 功利主義は、「最大多数の最大幸福」を追求することを基礎に据えた倫理学です。サンデルは、この理論の創始者であるジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)の思想を紹介し、その長所と短所を分析しています。

ベンサムは次のように述べています。

「自然は人類を快楽と苦痛という二人の主権者の支配下に置いた。我々がなすべきことを決めるのは、この二つに尽きる」

ジェレミー・ベンサム

サンデルは、このアプローチが政策決定や公共事業の分野でしばしば応用されることを指摘します。たとえば、環境規制の是非を費用便益分析によって判断する際、経済的利益と環境保護を功利主義的に天秤にかける場面が典型的です。温暖化対策において、CO2削減コストと得られる環境的利益のバランスが議論されるのもその一例です。

しかし、サンデルは功利主義には重要な問題があることを指摘します。特に、個人の権利が集団の利益のために犠牲にされるリスクがある点や、幸福を数量化する困難さが挙げられます。たとえば、医療資源の配分において、多数の患者を優先することで個人の尊厳が損なわれる可能性があり、その判断基準が問われる場面も多く存在します。

リバタリアニズムと自由市場

 功利主義に対して、リバタリアニズムは個人の自由と権利を最重視します。サンデルは、ロバート・ノージック(Robert Nozick)の思想を通じて、リバタリアニズムの根本的な主張を詳しく分析しています。ノージックは次のように述べています。

「個人には権利があり、国家といえどもそれを侵害することはできない」

ロバート・ノージック

リバタリアニズムは、特に自由市場経済や小さな政府を支持する思想の基盤となっています。税金を「強制的な労働の搾取」と見なしたり、規制緩和を求める考え方は、リバタリアニズムの影響を受けています。現代社会においても、この思想は自由な市場取引や個人の選択を最大限に尊重する政策に結びついています。

しかし、サンデルはこの思想にも批判を加えます。たとえば、リバタリアニズムは市場経済が完全に自由であることを前提にしますが、その結果として社会的不平等を正当化する危険性があります。経済的に恵まれた者がより多くの利益を得る一方で、弱者が不利な立場に置かれる可能性があるため、平等の観点からは問題が生じます。

正義と価値の測定

 功利主義とリバタリアニズムを比較する中で、サンデルは「価値をどのように測定し、比較するか」という問いを提起します。功利主義は幸福や快楽を尺度とし、リバタリアニズムは自由な選択を尊重しますが、これらが多様な価値観を十分に反映できるかは疑問です。

サンデルはこの問いに対し、アマルティア・セン(Amartya Sen)の「潜在能力アプローチ」を紹介します。センは次のように述べています。

「人々が価値を置く生活を送る自由、それが開発と正義の核心である」

Development as Freedom, 1999

このアプローチは、単なる所得や資源の分配以上に、人々がどのような能力を持ち、その能力をどのように発揮できるかを重視します。功利主義やリバタリアニズムの限界を補完する新たな視点として、正義のあり方に新しい解釈をもたらします。

現代社会における正義の複雑性

 サンデルは、功利主義とリバタリアニズムの検討を通じて、正義の複雑さを浮き彫りにしています。例えば、臓器売買や遺伝子操作の倫理的問題、さらにはグローバル化がもたらす経済的不均衡など、現代社会が直面する問題には単一の理論では対応しきれない面があります。特に、グローバルな環境問題や国際的な人権問題に対して、功利主義とリバタリアニズムの理論は必ずしも適切に機能しない場合があるとサンデルは指摘します。

たとえば、気候変動問題では、全体的な利益を重視する功利主義的アプローチと、各国の主権や自由を尊重するリバタリアニズム的アプローチが対立します。こうした問題に対しては、単一の理論では解決しきれず、柔軟なアプローチが必要です。


 本日は、功利主義とリバタリアニズムという2つの主要な理論を検討しました。これらの理論は、現代社会の多くの倫理的問題を理解するための強力な視点を提供していますが、それぞれに限界も存在します。明日は、自由と平等の問題に焦点を当て、カント主義と社会契約論について考察していきます。


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