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1月|乱反射する光の先に祈りと希望

窓の外からドンドンと和太鼓のような音が聞こえて「あ」と時計を見る。それが新年の幕開けを祝う花火の音だと気づいた時、わたしはリビングの隅っこで1人小さく編み物をしていた。そうか、もうあけたのか。おそらくあの瞬間、日本一小さな声で「あけましておめでとう」と言った女はわたしだと思う。

父は圧雪の仕事をしているためスキー場に行っており、母は年明けまで起きていられないと眠ってしまった。わたしも眠気はあったが、なんとなく年明け前に寝るのは20代のうちはしたくないというプライドがあって起きていた。

子供の頃は年が明けてからも小さな音でテレビをつけて、大して面白くもない深夜の生放送のバラエティ番組を1人で見ていたものだ。テレビが好きで見ていたというより、深夜までテレビをつけて起きていることの大人っぽさに浸っていたかったのかもしれない。

ジャンプして地球上にいませんでした的なことも、大勢の人たちと神社で年越しすることも、年越す瞬間のBeRealも(そもそもをアプリ持っていないが)しないで黙々と編み物をしていた。『大人っぽさ』に憧れなくなった時、それが大人になった証かもしれないと思いながらしばらく編んで寝た。


人間の予想なんてポンコツアプリ天気予報くらいに当てにならないと痛感したのは、「結婚した」と友人から連絡がきた時と「母親が亡くなった」と恋人から連絡がきた時だった。ラブストーリーでなくても物事はいつも突然に起こる。そういうことに狼狽えることなく俯瞰的な目で物事を見つめたいと思うなど。


会社のアンケートフォームで年齢を書く欄に【満:歳】とあり、何の気なしに26と打って「あ違う違う」と27に打ち直す。こういう地味なところで歳を一つ重ねたんだなと実感する。27という手触りがまだ慣れないが、26の時もこうして一年をかけて馴染んだのだと思うと、この慣れなさが逆に今しか感じられないものにみえて愛しく思えてくる。

家に帰れば誰もいない部屋(恋人はこの時葬式準備のためにまた実家に戻っていた)。それでも友達や恋人からもらったプレゼントが部屋にあると、ふふふんと思える。愛じゃ、愛。


この家に越してきて初めての冬。この家は日当たりがよく、冬は特に綺麗に朝日が入る。澄んだ柔らかい光が部屋にたっぷり入るだけで気分が上を向く。植物に水をやり、わたしも自分のグラスに水を注ぐ。換気のために窓を開けるとその日は風が強く吹いていて、木々がわさわさと揺れていた。
窓辺に座り日光を頭から浴びると、自分の中で沈殿していた黒い感情がさらさらと砂になっていくような感覚がある。消え去るのではなく、軽くなる。これがわたしと黒い感情の付き合い方だ。

風は自由に気持ちよさそうに吹いていた。その度に木々が揺れてざあ、ざあ、ざあと音を立てた。それがまるで波の音のように聞こえて「海みたい」とつぶやく。サイドテーブルに置いていたグラスが光を集めて乱反射する。その光景に詰まった全てがあまりにも美しく五感を刺激して、わたしは今日のことを忘れたくないと思った。そして、こういうことをもっと感じていきたいと強く祈った。




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