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「成長」の哲学、江副浩正を中心に(1/3)

江副浩正は、リクルートの創業者であり、同社を日本初の包括的人材サービス会社に育て上げた経営者だ。2020年度の経済産業省の調査によると、大学発ベンチャーの数は過去最高の2,905社に達している。しかし、リクルートが創業された1960年代には、大学発ベンチャーはほとんど存在していなかった。そんな時代に江副が生み出したリクルートは、昭和最大のベンチャー企業に成長を遂げた。江副の哲学の核心には、「成長」があった。彼は、個人も企業も常に成長し続けることを何より重視したのである。

江副の「成長」哲学は、「人と違う」ことと「人を見つけ、育てる」という2つの要素から成り立っている。

第一の要素は「人と違う」ことだ。江副は、個性を発揮し、他者と一線を画すことで成長のきっかけが生まれると説いた。個人個人の異質さを尊重し、活かしていく必要があるという考え方だ。

江副は「人と違う」ことを実践し、成功につなげた。彼の生い立ちを見ると、戦災で疎開を経験するなど、裕福とは言えない環境で育った。江副は名門の甲南中高に進学する。そこでは、高級住宅地に住む資産家や中流以上の家庭の子供が多数を占めるていた。江副のような生徒は少数派であった。江副は「人と違う」環境で学ぶ経験を積んだのである。

さらに、江副は東京大学への進学の際、受験科目として一般的な英語ではなく、あえてドイツ語を選択した。当時、ドイツ語を選ぶ受験生は少なく、英語と比べて難易度が低かったことが理由だった。この選択は、「人と違う」道を進もうとする江副の姿勢を表している。

このように、江副は生い立ちから「人と違う」環境に身を置き、大学受験では「人と違う」選択をすることで、自身の個性を発揮する機会を積極的に求めていた。こうした経験が、後の江副の成功につながったのだと言える。
江副自身、戦災で疎開した経験を持ち、裕福な環境で育ったわけではなかった。名門の甲南中高に進学したが、そこでは高級住宅地に住む資産家や中流以上の家庭の子供が多く、江副のような生徒は少数派だった。その後、江副は東京大学に進学する際、受験科目に英語ではなくドイツ語を選んだ。ドイツ語を選ぶ人が少なかったため、英語よりも難易度が低かったのだ。このように、江副は「人と違う」環境で育ち、「人と違う」選択をすることで成功につなげていった。

第二の要素は「人を見つけ、育てる」ことである。江副は、優秀な人材を発掘し続け、その可能性を伸ばすことが重要だと考えた。さらに、次代を担う人材を育成し、成長を後押しする必要性を説いた。

AI化が加速し、人間の役割が問われる現代において、江副の「成長の哲学」は新たな価値を持っている。均質化を危惧するのではなく、多様性を尊重し、個性を伸ばしていくことの大切さを教えてくれるのだ。

真の「成長」は、個人個人の可能性を最大限に引き出すことから生まれる。江副の言葉から見える「人と違う」ことと「人を見つけ、育てる」ことは、この新時代を生き抜く智慧となるはずだ。


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