未経験な人たちの新鮮な感覚
Oct 25, 2005(楽天blogより)
はるばる熊本の水上村から四人のお客さまがいらっしゃいました。
ボランティアでおやすみ処を開いて、
「さあ、疲れた人はみーんないらっしゃあーい」
とその場を提供されているそうです。
一回だけのレッスンはとても気を使いますが、
真剣勝負の緊張感も持てて又いつもと違った楽しさがあります。
一回だけとなると、やっぱり、からだの基本のイメージ
「わたしのからだは生きた水袋」体験をし、
「にょろ転」の動きに繋げたくなります。
「わたしのからだは生きた水袋」になるのに一番苦労するのは
脳みそを溶かすことです。
どうしても意識が主人となってからだを支配してしまうのです。
意識が勝つとからだが固くなって、しかも考え通り、計画通りに
からだを動かしたくなります。
からだの中が「水」から「岩」になって、流れが無くなります。
「にょろ転」ではなくなって「ゴロ転」になってしまいます。
楽しいのは、野口体操を全く未経験な人たちの新鮮な感覚です。
経験者の、特に中途半端な経験者の最大の敵は、
手馴れた手順で“それらしく”やってしまっていることです。
からだが約束事を覚えてしまっていて、
苦労なく動きを演じてしまうのです。
自分のからだから離れてしまうのです。
初めての人は、約束事も手順もなく、よく分からないなぁ、
こうかなぁ・・・と探り続けます。
その苦労、誤解、失敗・・・が素晴らしいのです。
自分のからだから離れないのです。
それにしても初心者にも経験者にも
この「わたしのからだは生きた水袋」から「にょろ転」に繋がる動きは簡単ではありません。
「言われたことは思い当たることばかりです。」
「本当のことを言ってもらいました。」
「不思議な不思議な二時間でした。」
「自分の中のいろんな感覚が目覚めた感じ・・・、
いろんなところに目ができた感じ・・・」
初めての人の素直な感想も新鮮です。
「自分のからだから出て来たものではなくて、
すぐ一般的で分かり易い方に行ってしまうのよ」
刺激を受けて、あちこちで教室の人たちの話し合っていることばに
無条件で新しい人たちを受け入れる場であり続けたいと思いました。
「異質のものが異質性を失わないで
共通の場をもつことによって、
新しいものを生み出す。
これがが交わるということです」
野口 三千三
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