いつかの覚え書き
結局はわたしの信仰心にかかっている
なんてことを思ったのになんのことなのか忘れてしまう
通勤手段が車になってから「あ、これはなかなかいいアイディアが浮かんだかもしれない」とうきうきするような思考ができるのは車の中の運転をしている時間ばかりになってしまった。
職場の同期が、家族を持ってから一人の時間を持てるのは車の中ばかりになってしまったというようなことを、およそ10年ほど前に言っていたことを思い出す。
一体何の話だったのだっけ。
たぶんでも最近結局わたしの心に積もっているのは結局フェミニズムみたいなことで、でもフェミニズムという言葉自体がもう腐敗した何かを持っている。
「アライ」という言葉が私のところに届いた時にはすでにファッションの意味合いが強くなってしまったかのように。
ファッションが悪いなんてことないのに、ファッションという言葉が「うわっつら」という、なにか本質を捉えていないことの例えになってしまっているのは、きっと本当の意味で服飾を愛する人には悲しいことなのだろうな。
服飾ってそういう意味で地続きなんだよね、べつに変でさえなければなんでもいいよ、という愛じゃなくても生活のために関わらなければいけない人々と。捨てることができない博愛てきな、というかそういう意識の低い人を決して排除することができないという世界。
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