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走ることが夢だった5 (フォーミュラ編)

カートを卒業して、 FJ1600への転向がスムーズにいかずサーキットから遠ざかる日が続く。焦りや苛立ちもあるが、学生生活を満喫するのも今できることじゃないかと模索する日々。
しかしスピードに魅せられた体が言うことを聞かない。

日常

レーシングスクールに連絡をとり、事務の女性に確認を取ると、筑波サーキットのスクールは、3ヶ月に一度くらいのペースらしい。
それではちっとも練習にならないがお金のかかることだから仕方ない。
とは言っても1年間のレース費用として契約した以上、スクールには通わせてもらうつもりだ。

学業の方がだいぶ疎かになっていた。
成績も入学当初よりだいぶ下がってしまった。
担任からはレースは就職してからやればいいだろ。と言われる。
確かに頭ではそう思った。
しかし体がスピードを求めるようになっていた。
整備の作業も早く終わらせなくては気が済まなかったり、会話も頭の回転重視で、相手の気持ちなど考えなくなっていた。
一年遅れての入学だったので同級生より一つ年上だった為、慕ってくれている同級生もいたが、どんどんはなれていってしまっていた。
レースをするために協力してくれる仲間は、学校ではできず、孤立して行った。
バイト先でもバイト仲間と口論になることも何度かあった。
今で言う、闇落ちとでも言うようなものだろうか?
走りに対するストイックさは持っていたが、人間的な魅力は無くなっていた。
すっかりレースの世界に染まっていた。

そんな時期に、オートポリスで一緒になり、帰りに東京で食事をした1人から連絡があった。
一緒に FJ1600のマシンを購入し、シェアしてレースをやらないかと言う誘いだった。
今思うと勿体無い話だが、当時はもっと高みを目指すんだ見たいなプライドが邪魔をして、誘いは断ってしまった。

自分の常識が通用しない事態が続くと、人を信用することができなくなるものだと、今ならわかるが、当時は自分の思考がずれていて、気づけなくなっていた。
私は、もともとあまり泣いたことがなかったが、その頃、想像もしていなかった、自分の力が到底及ばない闇の力に恐怖し号泣したことを覚えている。

そんな日々を過ごしているとレーシングスクールから電話があった。
ライセンス取得についてだった。
本来ならB級ライセンス取得後に、競技に参加しないとA級ライセンス取得はできないが、オートポリスで行ったミニレースのようなものが競技参加と認められたから、一気にA級ライセンス取得ができると言う連絡だった。
取得できるに越した事はないが、ずいぶんいい加減だなと思った。

数日後、B級ライセンス取得申請の書類とA級ライセンス取得申請の書類が送られてきた。
両方記入して送り返した。
どのくらいかかったか覚えていないが、しばらくしてA級ライセンスが送られてきた。 
これでAライ保持者になれた。
ささやかな満足感があった。

峠以外練習する機会がない生活が続いた。
毎日イライラしていた。
気持ちをリフレッシュする方法が見つからず、昔好きだったガンプラの雑誌を買ってみたりもした。
究極のガンプリを作るなんて企画の連載が載っていた。
雑誌社とバンダイが共同の企画だった。
それが後に、今も販売中の企画の始まりだった。
発売されてすぐ、MGザクを買った。
子供の頃は、アニメとあまり似ていないプラモデルの出来栄えにがっかりする事も多かったが、技術の進歩はすごいと思った。
色を塗らなくても設定カラー通りだし、接着剤を使わなくても組み上がった。
当時としては画期的だった。

再開

色々と模索する日々を過ごしていると、筑波のレーシングスクールの開催日が近づいてきた。
スクール前日の夜、サーキット入りし朝まで車中泊した。
スクールの参加は約束していない。

朝、駐車場で待機していると、例の男が現れた。
私が近づいていくと、私の車を見てずいぶん綺麗にしてるね。と笑顔で声をかけてきた。
私がいる事に驚いたわけでもなかった。
そのまま他の生徒に紛れて行動する。
ガレージからマシンをサーキットに移動させる。
メカニックもいて、エンジンもすぐにかかった。
ただマシンはかなり旧式だ。
サイドラジエターが当たり前の時代にフロントラジエターのマシンが殆どだ。

スクールはサーキットを貸し切ってやるらしい。
時間まで座学があった。
ヒールトゥについての講義などを受けた。

走行時間になった。
オートポリスで私も含めスピンするマシンが続出したせいか、インストラクターの乗るマシンの後に一列になって走行した。
最初はこういう練習も必要かもしれないと、走っていて感じた。
レーシングスピードじゃなくても FJ1600独特のコーナリングの特徴がオートポリスの時よりよく分かった。

今回は、一晩泊まりの2日間のスクールで安定して走行できたと思う。
走ることができれば気持ちも落ち着く。
次は3ヶ月後。
だが契約してから一年近くになる。
オートポリス一年間フル参戦といい契約書をスクール側がどう解釈するか。

次が最後かもしれないと思いサーキットを後にした。
帰りの運転が気持ちいい。
走れているという充実感からだろう。
次までの3ヶ月は長いが今できることをやろうと心に気めた。

6 (フォーミュラ編)へ続く

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