いやー、ほんと仏陀だわーっていう話
わーい、kindleでセールしてるー!と思って、なんとなく池上彰さんの本を読んだら超はまってしまって、抜け出せなくなりました。
ちなみにKindleなら2つ合わせても1000円くらいです。安いっ!
っていうのはさておいて、この本を読んでると、ほんと仏陀だわーってなったことについて書こうかなと思います。
仏陀の教え、ほんとそれな!っていう話
先に簡単に仏教の成り立ちを説明しておきます。面白かったので、、、。
ブッダ(ゴータマ・シッダッタさん)は紀元前5世紀くらいに、小さい国の王様の子供として生まれてきました。いろいろとまあ諸事情があって(割愛しますが)なかなか外に出させてもらえなかったのです。ずーっと宮廷の敷地から出ないように過ごしてきて健やかな青年に育ちました。ところが、ある日お父さんが気晴らしに外に行くことを許してくれました。
外に出てみると、そこには普通の人もいれば老人・痩せこけた病人がいました。ブッダは「ナンジャコリャー!」って驚いて、さらに自分も年を重ねて、老いて、いつかは死ぬということを知りました。
やっベーぞー、死にたくないぞー、病気嫌だよー、っていう悩みを解消するために修行に出て、35歳の時に「あっ...」っていろいろ悟ったんです。これが仏教の成立です。
仏教の教えの一つに、自分と他人との間に境界線を引いて区別することこそが苦しみの原因だというものがあります。(ほんそれ!!ってなったやつ)
ここからは自分の意見とか解釈が混じりに混じっていますが、自分と相手を区別すると、どうしても自分の方が優位に立ちたかったり、逆に情けない気持ちになってしまってしまう。しかもこの区別が複数人になると「こっち側(仲間)」と「あっち側(相手、敵)」っていう風に思ってしまう。
便宜上、体の構造の違いを元に「男」と「女」って分けただけなのに、「男なんだからしっかりしなさい」とか「これだから女は...」って言う。
会社でいうと、A株式会社は競合関係にあたるB株式会社を敵とみなして、どうにかしてB株式会社より売上のばそうぜ!とか、もっと悪化するとあいつら潰そうぜ!ってなるわけです。でも、A株式会社、B株式会社って仕事をしている場所(建物)が違う、管理しているリーダーが違うっていうだけで別の名前をつけただけです。もし区別しないとすると、同じ分野のお仕事をしている人の集団という言い方になります。なんかちょっと仲間っぽくないですか?もっと区別しなかったら、同じ人間ってなるし、さらにいくと、僕らは「物質」なんだよーっていう感じになります。
区別することが、そのまま仲間と敵を生み出すんだろうなって思いました。さらにタチが悪いのが、敵を生み出してしまった方が、仲間同士は仲良くなるんですよね。これはもうどうしようもない話ですが。。。
今のは一例ですが、ここまでをまとめると、区別をすることで「こっち側(仲間)」と「あっち側(敵)」っていう対立構造ができてしまう。という話をしてきました。
じゃあどうする?どうしたらいい?
仏教の1番の教えは、利他的な行動をしなさい。つまり、人のためになることをしなさい。っていう教えを説いています。
「区別をすること」が悩みの根元になると説いている仏教でさえも、じゃあ区別しないようにしましょう!って言わないんですね〜、なぜでしょう。
それは、やっぱり区別しないと超絶不便だからだと思います。
だって、「人って面白いよね!!」って言うよりも「日本人面白いよね!」っていうよりも「お笑い芸人って面白いよね!」っていうよりも「明石家さんまさんって面白いよね!」って言った方が分かりやすいんですもん。
「ちょっとそこの四角い箱から少し出てる白いヒラヒラしたものを取ってほしい」っていうより「ティッシュ取って」の方が分かりやすい。
人間が社会で生活する上で区別することは欠かせないことなんです。
っていう個人的な勝手な解釈ですが、仏教は区別をするっていう行為は避けられないから、区別した上で、あっち側さんとも仲良くしましょうよ〜っていう主張なんかなと思いました。
僕の意見としては、都合よく解釈する力を身につけよう!です。社会で生活を営む際に「区別すること」は必須なので、区別して便利な場面ではとことん区別したらいいと思います。でも、例えば男と女で区別した時にそこで対立構造ができてしまうなら、「僕らは同じ人間」ってこといいし、これだから今時の新卒社員は、とかこれだからお堅い部長さんはっていう対立構造が生まれてしまうなら、「僕らは同じ会社で働いている会社員でしょ」っていうことでだいぶ対立意識がなくなるんじゃないかなーと思いました。
宗教おもしれええ!
ということで、池上さんの本、おすすめです!では、また!
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