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『相手の立場になって考えること』は、どのように身につくのか
自分が言われたら嫌だろうな、ということをさらっと相手に伝える人を見ると、何となく心に違和感が溜まります。
どうしたら目の前のこの人が、人に優しくなれるのだろうか、と考えるものの、先天的な能力に依存してしまうものなら、強化の限界がある?ため世知辛いなと思い、いろいろと調べてみました。
メタ認知という概念
メタ認知をご存知でしょうか。
メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。
奈良教育大学の説明を見ると、『メタ認知的知識』と『メタ認知的技能』の2つによって形成されており、これを身に着けることで、自分を客観視し、自らの行動にある矛盾に気づき、それを修正していけるとのことでした。
では、いかにメタ認知を身に付けるのか。
それは、学習や思考のことを議論したり、体験の振り返りをしていくことだそうです。(参考:メタ認知を教育目標としてどう設定するか)
大人になってから人の気持ちを察するようになる難しさ
そうは言っても、というのが本音でした。
よく「いただきます」を例えにするのですが、子供は「いただきますと言いなさい」と言われれば、意味を理解せずともそれを真似していきます。
ただ、大人になれば、「どうしてやる必要があるのか?」と、理解と納得がセットになった上で行動に至ることが多いのではないでしょうか。
すると、振り返りが大切だよね、と言ったところで、当人として聞く耳を持たなければ意味をなさないと思ってしまいます。
それでも
他人がこれまで築き上げてきた考え方や価値観に対して、急に土足で踏み込んでしまうこと自体、おこがましく、良いことではないと思いますし、
それをわかった上で、互いの関係を超えて踏み込もうと思える関係性自体、そうないだろうなと感じます。
ただ、冒頭で書いたよな『どうしたら目の前のこの人が、人に優しくなれるのだろうか』と思ってしまったなら、最後は相手に関わらず、伝えてみることから始めないといけないなと。
伝えた上で取捨選択するのは相手であり、気づいたからには伝えるまでが自分の責任として、周囲の人に触れていくことが唯一できることかなと感じてきました。(言うは易しですが笑)
PS
ちなみにこちらでメタ認知のテストができるので、興味ある方はぜひー