嵐の予兆と日本の行方
本日放送されたNHK大河ドラマ『光る君へ』の最終回は、象徴的な一言で幕を閉じた。登場人物のまひろが最後に発した「嵐が来るわ」という台詞は、物語のその後、すなわち源平合戦や武士の時代の幕開けを暗示していた。平安時代の藤原道長が追い求めた平穏な世の中は終焉を迎え、武力によって世の中が動く新たな時代が到来する。その象徴的な結末は、現代にも通じる深い示唆を含んでいた。
まさに今、日本も世界も「嵐が来る」直前の状態にあると言えよう。2024年は数多くの選挙が実施され、これが時代の節目となることは間違いない。特にアメリカでは、ドナルド・トランプの改革路線が再開し、グローバリズムの時代は終焉を迎える。一方で、日本の現政権がトランプ政権と良好な関係を築くことは難しい。安倍晋三のような人物がすでにいない今、日本の対米協調路線は後退し、中国やアジアとの協力を重視する方向へ進むだろう。
この動きは、戦前の大東亜戦争を連想させる構図を形作る可能性がある。もっとも、トランプ大統領が在任中は戦争の可能性は低いが、次の政権次第では状況は大きく変わる。外交的な問題だけでなく、国内の問題についても考えてみる必要がある。
テクノロジーの進化と世代間の断絶
これまでの日本では、テクノロジーや若者が時代を牽引してきた。しかし、少子化が進む現在、若者の存在感は薄れつつある。特にAI技術の進化において顕著だ。AIはインターネット以来の技術革新であり、50代や60代の世代には驚きをもって迎えられている。しかし、若者世代にとってAIは日常の一部であり、関心を引く対象ではない。そのため、かつてのインターネットやスマートフォンのように日本を根本から変える波は、少なくとも若者主導では起こらない。
むしろ現在の社会は「失われた30年」と呼ばれる停滞期の反動として、30年前の価値観へ回帰しようとする傾向にある。過去の「デジタル一辺倒」への反発から、アナログ的な良さやノスタルジーに注目が集まっている。高齢化社会を背景に、新しいものを追求するよりも「昔は良かった」という感覚が広がり、これが2025年以降の日本社会を動かす大きな力となる。
「働かない日本」の危機感
現在の日本は、経済成長率で先進国中最低の水準にありながら、労働意欲をさらに削ぐような動きが見られる。休暇を増やし、労働時間を短縮する方向性は一見魅力的に思えるが、成長の余地を失った日本には適していない。実態を直視せず、「日本は大丈夫」と思い込む姿勢が、さらなる停滞を招く危険性がある。
このままでは、日本は仕事もなく昼間から酒を飲む人々が溢れるスラム化した社会に陥る可能性がある。現実をしっかりと見据え、失われた30年間で失ったものを取り戻す努力が必要だ。かつての高度経済成長期のように、目標に向かって邁進する日本を再び取り戻すべきである。
嵐の後の日本をどう導くか
大河ドラマの最後にまひろが告げた「嵐が来るわ」という言葉は、現代に生きる私たちにも問いかけている。この嵐が日本をどのように変えるのかを見極め、適切な舵取りを行わねばならない。
2025年は「失われた30年」を一気に取り戻す可能性を秘めた年である。同時に、新たな時代へ向かう岐路でもある。この30年間で変わったものを逆転させ、もう一度「輝く日本」を目指すかどうか。それは我々一人ひとりの行動にかかっている。歴史の転換点に立つ覚悟を持ち、この嵐を越えていく未来を築くべき時が来たのである。