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成功や幸福を感じづらいのは裕福に育った証し

「人生詰んだ」状態をリセットする魔法

第1章 「人生詰んだ」と日本人の全員が思っている
・停滞感は成長率が原因
・キミが詰んでいるのではなく、上が詰まっている
・成功や幸福を感じづらいのは裕福に育った証し
・「働いてどんどん出世」は時代錯誤
・ほぼ全員が迷いの気持ちを抱いている

・成功や幸福を感じづらいのは裕福に育った証し

読者諸君は「正負の法則」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。スピリチュアルの神様・美輪明宏氏がよく提唱する考え方で、簡単に言えば「プラスがあれば、その分マイナスが生じる。プラスマイナスがゼロになるように世界は動く」と言うものだ。
スピリチュアルと言うと眉唾に思う人も多いかもしれないが、量子物理学の波動の法則など、「プラスマイナスがゼロになるように均衡を保つ」と言う考え方は科学の基本とされている。

一方で、人間の意図や作為は容易に均衡を崩すことができる。例えば、今、資本主義によって、世界の富が一部の富豪に偏っている現象は明らかに人間が作った不均衡である(人間だけに限らず、生物は自己防衛機能によって意図的に不均衡を作ることがある)。
よって、客観的には「正負の法則」は成り立たないかもしれない。生まれてから死ぬまで、ずっと裕福な人もいれば、貧困のままで生涯を終える者もいる。

だが、成功や幸福は客観的な数字ではなく、本人がそう感じることができるかが最も重要な指針となる。そして、その基準となるのは「比較」である。自分の理想や周囲の人たちと比べて、今の自分はどうなのか、で決まる。

今の自分の年収が1000万円だとしよう。
貧困家庭に育ち、貧乏暮らしをして来た人間にとって年収1000万円は大成功を収めたと言える。また貧困の地域で育ち、昔からの友人の多くが年収300万円だとすると、自分は大成功を収めたと自負することができる。
逆に、裕福な家に生まれ、億単位の収入を得ている一族の出自ならば、「たかが1000万円?」となる。また、高学歴で、出身大学卒業生の平均年収が1000万円なら、別に成功したとは感じない。平均なのだから至って普通だ。

このように主観まで含めれば、「正負の法則」が強く作用していることが分かる。子どもの頃に苦労をしていると、大人になってから相対的に幸福を感じる確率が上がり、逆に、子どもの頃に何の苦労も無い幸せの中に育つと、それが当たり前になってしまう。それどころか、普通の状態(もしくは平均から見れば恵まれた状態)が不幸に思えてしまう。

かつて、グローバル企業の御曹司と会話をした時の話をしたい。彼は両親がグルメで、幼少の頃から毎日ご馳走ばかりを食べてきたそうである。私が冗談で、「私の母はとても料理が下手で、子供の頃、私の弁当を食べるのが罰ゲームにされたこともある(そして食べた生徒が体調を崩し保健室に行くことも多かった)。私は生まれた時からそれを食べているからよくわからなかったけど、今、コンビニ弁当やファーストフードでも何でも美味しいと感じるんだ。不味いと言う感覚がわからない」と言う話をしたら、彼は徐ろに「それは羨ましいです。僕は何を食べても美味しいと思ったことがないんです」と言った。
もちろん栄養状態を考えたら客観的には美食家の下に育った方が恵まれているが、大人になってから毎日、「美味しい、美味しい」と思って食べられるか、「不味い、不味い」と思って食べるかでは幸福度が大きく異なる。
これも正負の法則だ。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言うが、これは、若い時に修業をすれば将来活躍できる、と言う以上に、若い時に苦労をしておくと、将来、多くの幸せを感じることができる、との意味合いの方が大きいかもしれない。
そう考えると、戦後の混迷期に幼少時を過ごした人が、常に「戦争の時に比べれば」と言ったのにも納得ができる。あの時の苦労を比較対象とすることで、何に対しても幸せを見出すことができたからだ。
今、幸せをなかなか実感できないと嘆く人は、もしかしたら子どもの頃に一生分の幸せを使い果たしてしまったのかもしれない!?

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