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激動の2024年と新たな船出
今年も残すところあと1ヵ月となった。この2024年は、歴史的に見ても大きな転換点となる年だったと言えるだろう。後世の人々は、この年を境に「それ以前」と「それ以後」で世界が分かれたと語るに違いない。だが、その変化が必ずしも明るい未来を約束するわけではない。むしろ、これからの時代は多くの試練が待ち受ける厳しい局面に入ることになる。
沈みゆく時代をどう生きるか
運気や景気には波がある。これまでの繁栄が続いてきた分、これからは下降線を描く時期が訪れるのも自然の摂理である。こうした運命の流れを変えることはできないが、それを受け入れる心構えはできる。沈みゆく船の中でも、その中で楽しみを見出し、スリルを楽しむ生き方もあるはずだ。結局、人は誰しも死という終着点に向かっている。どれだけの富や成功を手にした人も、そうでない人も、最後は皆等しくそのゴールにたどり着く。それならば、目の前の環境が良かろうが悪かろうが、そこに大きな意味を見いだす必要もない。
自分の職業への違和感
このように時代の流れを俯瞰しながら、ふと考える。自分はいつまで教える仕事にしがみついているのか、と。確かに、私は教えることに関して長いキャリアと実績を持ち、このまま続ければ安定した生活を送ることはできるだろう。しかし、私は一度たりとも「先生になりたい」と思ったことがない。学生時代のアルバイトから惰性で続けてきた結果、独自の指導法を確立し、この職業にたどり着いただけなのだ。
多くの成功者が「気づいたらこの職業に就いていた」と語るように、天職というものは必ずしも子供の頃の夢に沿うものではない。しかし、私の場合、その惰性という事実が後ろめたさとなっている。まるで子供の頃、ゲームに熱中し、そのままプロゲーマーになったような感覚だ。「もっと他のことに挑戦すべきだったのではないか」と自問する日々である。
教える仕事で得たもの、失ったもの
この職業を通じて、多くの経験を積み、実績も残した。一方で、大きな失敗や後悔もあった。特に、かつての某会社との関わりは、私のキャリアにおける最大の汚点である。その会社に在籍していた当初、私はその実態を知らず、善意で貢献していた。しかし、時間が経つにつれ、その企業が詐欺行為を行っていることに気づいた。そして、その事実を知ってからは一刻も早く縁を切るべく努力した。
会社との縁を断つことは容易ではなかった。退職後も名前や顔写真を無断で利用され、あたかも今もその活動に加担しているかのように見せかけられる状況が続いた。もしもこの会社が摘発された場合、自分も加害者にされてしまう。幸い、粘り強い戦いの末に、自分の情報を完全に削除させることに成功した。これで一安心。近年の最大の収穫だった。
しかし、この一件は、私がこの職業を続けていたがために起きたことである。もし学生時代に別の選択をしていたら、こんな経験をすることもなかっただろう。
新たな道を模索する
どんな職業であれ、引退すればそれまでの功績は過去のものとなる。いくら現役時代に活躍していても、引退後には誰も話題にしなくなる。それが今の世の中である。そう考えると、そろそろこの長く続けた教える仕事から身を引く時期に差し掛かっているのではないかと思う。
(と言いつつも、これまでも結局は継続してきたので、今回も模索だけで終わる、という顛末も濃厚である。「次の休みは旅行にでも行きたい」と言いつつ、結局は何もせずに休みが終わる。それはなぜか。
実際に旅行に行くことよりも、旅行に行ったら楽しいだろうなあと思うことが楽しいので、実は目的を既に達成しているからである。実際の達成の有無ではなく、本質は別のところにある。)
これまでの20年以上を振り返れば、得たものもあれば失ったものもある。しかし、それ以上に、自分の人生を新たな方向へ舵を切るべき時が来たと感じている。これまでとは全く異なる世界に飛び込み、新たな挑戦を始める。それこそが、これからの人生をより充実させる道ではないか。
未来への決意
時代は変わり、世界も揺れ動く。その中で、今まで通りの生き方を続けることはむしろリスクである。これからは、過去に囚われることなく、新しい価値を見出していく。厳しい時代だからこそ、何かに挑戦し、自分を試す価値がある。惰性で続けてきたものを手放し、新しい道を歩む。
これからも世の中を良くするために力を尽くしながら、自らの人生を切り開いていきたい。そして、この激動の時代の中で、少しでも未来に希望を灯す存在でありたいと願う。