2021年 共通テスト 世界史B (第一日程) 解答と解説
かっぱの大学入試に挑戦、第1回共通テストの第一日程の世界史Bに取り組みます。
問題は https://nyushi.sankei.com/kyotsutest/21/1/exam/5370.pdf などで確認できる。
さすが共通テストということで、時代は古代・中世・近世・近現代をカバー。地域は東アジア・ヨーロッパ・インド・西アジア・アメリカ・戦後世界と多岐にわたるが、東南アジアやアフリカがほとんど見られなかった。問題形式としては正誤選択・時期配列・説明組み合わせ・空所補充などが選択問題として出題された。資料問題も豊富で、史料・図版・写真・地図・グラフなどが使用されている。では、以下私なりの解答と解説。
第1問 資料と世界史上の出来事
A 『史記』始皇帝死亡時の逸話
問1(解答番号1).解答 ③
解説 始皇帝に関わる史料の空所補充とその語句についての説明を組み合わせる問題。内容としては従来のセンター試験でも頻出な諸子百家に関わる基本問題。空欄アはリード文中の「始皇帝死亡時の逸話」というところから判断したい。 あ.孟子は戦国時代の儒家の一人であり、性善説を主張した。始皇帝の時代にはすでに亡くなっている。 い.張儀は戦国時代の縦横家であり、拡大期の秦に対し連衡策を主張した。始皇帝の時代にはすでに亡くなっている。 う.李斯が始皇帝に仕えた宰相であり、法家の一人であった。李斯が統治のために重視したことは法による秩序維持であり、Zが該当する。 Xの家族道徳=孝を重視したのは孔子の教えである儒学であり、Yの無差別に人を愛すること=兼愛を重視したのは墨子の墨家である。
問2(解答番号2).解答 ③
解説 世界史上の思想統制に関わる正誤選択問題。これも従来のセンター試験でありがちな問題。 ①は誤文。やや細かい。始皇帝は焚書により儒学の書物を焼き捨てさせたが、医薬・占い・農業関係のものは除外されていた。 ②も誤文。エフェソス公会議は431年に開かれた公会議で、ネストリウス派が異端とされた。教皇の至上権の再確認といえば対抗宗教改革として1545年に開かれたトリエント公会議で、この公会議の後に禁書目録が定められて異端弾圧が強化された。 ③が正文。ナチス体制下のドイツでは秘密警察であるゲシュタポにより、反ナチス的な言論・行動が厳しく取り締まられた。 ④は誤文。マッカーシーにより共産主義者を排除する運動が盛んになったのは冷戦下の1950年代のアメリカである。マッカーシズムと呼ばれた。
問3(解答番号3).解答 ②
解説 司馬遷が「著名な商人の列伝を『史記』の中に設けている」背景として、「司馬遷なりに批判」した当時の「政策」を選択する問題。単純に司馬遷が生きた時代の政策を選ぶのではなく、リード文を踏まえたうえで、経済に関わる政策を選ぶ必要がある。司馬遷が生きた時代=前漢の武帝のころの経済政策を想定したい。 ①は誤り。「諸侯の権力を削減」「抵抗する諸侯の反乱」で武帝の時代より前に起こった呉楚七国の乱と判断。 ②が正しい。武帝は財政難の解決のため、物価調整の均輸法と物価安定の平準法を実施した。 ③は誤り。董仲舒の提言を受け入れて儒教を官学化したのは武帝の政策だが、ここで司馬遷が批判している政策としては不適当である。 ④も誤り。三長制は南北朝時代の北魏の孝文帝により始められた政策。
B マルク=ブロックの『歴史のための弁明―歴史家の仕事』
問4(解答番号4).解答 ③
解説 史料の背景となる知識と史料の読み取りを組み合わせた、新傾向の問題。まず「前提としたと思われる歴史上の出来事」であるが、史料の4行目の「1789年以前」、史料12行目の「1790年以降、聖職者市民法の適用によって」といったところから、この史料の前提として1789年に始まったフランス革命を想起したい。すると、 あ.正文。国民議会が教会財産を国有化したということまで把握していることは難しかったかもしれないが、封建的特権の廃止を行ったことはわかっておきたい。 い.誤文。共和政の成立を宣言して国王ルイ16世を処刑したのは国民公会であり、総裁政府はこの後のテルミドール9日のクーデタで成立したものなので、こちらが明らかに誤りとわかる。一方、「文書資料についてのブロックの説明」としては、 Xは誤文。史料1行目から「農村共同体が文書資料を保有しているのは、珍しいことです。あったとしても、それは古い時代のものではありません。(中略)あなたがその利用を期待できる主な文書資料は、領主所領からもたらされるでしょう。」とあり、農村共同体の資料より村の領主の資料が主に利用できると述べている。 Yも誤文。史料7行目(第2段落)に「三つの可能性が考えられます。まず、領主の所領が教会に属していた場合。次に、革命下に亡命した俗人に属していた場合。そして、俗人だけれども、反対に決して亡命しなかった者に属していた場合です。」とあり、11行目(第3段落)に「最も望ましいのは、第1の場合です。資料がより良い状態で、まとまって長く保管されている可能性が高いだけではありません。」とあるので、領主が俗人ではなく教会である場合が最も資料の保管状態が良いと述べられている。 Zが正文。史料19行目(第5段落)以降に「残るは最後の可能性です。これは、極めて厄介です。」「現在の保持者はあなたにそれを見せる義務は全くないのです。」とあり、第4段落で述べられている俗人領主が亡命した場合と比べて、亡命しなかった場合の方が、研究者が資料を利用することが難しいということが述べられている。史料の読解力を問う問題であり、国語の問題ではないかという批判もあろうが、ヨーロッパにおける領主として「教会」と「俗人」があったこと、フランス革命が第一身分の聖職者・第二身分の貴族に対して第三身分の平民が起こしたものであることを想定できているかどうかで、このマルク=ブロックの史料の読解の深さは変わってくるように思う。歴史的な史料読解問題と位置付けられるのではないだろうか。
問5(解答番号5).解答 ④
解説 史料17行目に記された「嫌われた体制」がどういうことか問うた正誤選択問題。問4の解説でも述べたが、この史料がフランス革命を前提としていると分かれば、解答を導くことは容易いだろう。 ①は誤文。フランス革命時にはフランスではまだ産業革命は進んでおらず、産業資本家の社会的地位は高くなかった。フランスで産業革命が進んで産業資本家が出てくるのは、ルイ=フィリップによる1830年の七月革命のころからである。 ②も誤文。ヘイロータイは古代ギリシアのポリスであるスパルタにおいて征服された先住民のことである。 ③も誤文。強制栽培制度は19世紀にオランダの植民地であるジャワで実施された政策である。 ④が正文。フランス革命前は旧体制(アンシャンレジーム)と呼ばれ、第一身分である聖職者、第二身分である貴族、第三身分である平民と身分が分かれ、聖職者と貴族が特権階級とされた。
第2問 世界史上の貨幣
A イギリスにおける貨幣
問1(解答番号6).解答 ②
解説 イギリスの金貨鋳造量の推移を示すグラフ1を見て、金貨鋳造量が初めて500万ポンドに達する前に起こった出来事を選ぶ問題。しかしある時期より前の出来事を選ぶ問題ということは、選択肢の中で一番古い時代の出来事を選べば良い問題となってしまうので、せっかくグラフを出しているのに活用しなくても解けてしまうもったいない問題。一応グラフ1を確認すると、イギリスの金貨鋳造量が初めて500万ポンドに達したのは1776年である(ただし、その後急落しており、再び500万ポンドを超えるのは1821年となっている)。よって、 ①は誤文。1808年のイダルゴの蜂起を経てメキシコが独立したのは1821年である。 ②が正文。1773年の茶法制定に反発し、同年アメリカでボストン茶会事件が起こった。 ③は誤文。ロシアがイランのカージャール朝と不平等条約であるトルコマンチャーイ条約を締結したのは1828年。 ④も誤文。ロシアの皇帝アレクサンドル1世によって神聖同盟が結成されたのは、ウィーン体制下の1815年である。
問2(解答番号7).解答 ③
解説 グラフ1とグラフ2から、イギリスの金貨鋳造量が10年以上にわたって100万ポンドを下回った背景を考察し、空所補充する問題。こちらはグラフを読み取りつつ歴史的知識を活用して答えを導く必要があり、新しく歴史的思考力を問うた問題といえよう。 まずグラフ1から、金貨鋳造量が10年以上にわたって100万ポンドを下回ったのは1799年~1813年であることが読み取れる。この時期のイギリスといえば、ナポレオン戦争の最中であったことを想起したい。よって空欄「あ」は「フランス」が該当する。 次にグラフ2で先の1799年~1813年の時期を確認すると、紙幣流通量は増加し続けていることがわかる。よって空欄「い」は「紙幣を大量に発行する」が当てはまる。
問3(解答番号8).解答 ①
解説 図で示されたイギリスのソブリン金貨に肖像が打刻された君主の事績について問うた正誤選択問題。この君主の名前は問題文中で明らかにされていないので、まずそれを想起した上で解答を導く、二段階式の知識問題となっている。図には「1852年鋳造」とあるので、まずはこの時期のイギリスの君主はビクトリア女王(在位1837~1901年)であることを想起したい。すると、 ①が正文。インド大反乱後、1877年にビクトリア女王はインド皇帝に即位し、英領インド帝国が成立した。 ②は誤文。グレートブリテン王国(大ブリテン国)は1707年にアン女王の下で成立した。 ③も誤文。イギリス国教会を確立させた統一法を制定したのは1559年のエリザベス1世のころである。 ④も誤文。ハノーヴァー朝はアン女王の後、1714年にステュアート朝が断絶し、ドイツからジョージ1世を迎えたことで成立した。
B アジアの貨幣
問4(解答番号9).解答 ③
解説 アジアの貨幣に関する会話文の空所補充問題。「銀」の話題で、「16世紀」とあるのが解答を導く手がかり。 ①は誤文。16世紀においては「日本産の銀」が「中国に」流入した。 ②も誤文。中国で地丁銀制が導入されたのは清代の18世紀である。会話文で「丁銀」とあるのに引きずられないよう注意したい。 ③が正文。中国で各種の税や徭役を銀に一本化した一条便法が導入されたのは明代の16世紀である。 ④は誤文。アヘンの密貿易で大量の銀が中国からイギリスに流出したのは清代後期の19世紀のことである。
問5(解答番号10).解答 ③
解説 こちらも会話文の空所補充問題であるが、中国の貨幣史の基本問題。エ・オは「半両銭」が秦の始皇帝によって発行された青銅貨幣であったこと、カは「交鈔」が紙幣であることを想起したい。
問6(解答番号11).解答 ④
解説 会話文中の空欄キに当てはまる人物の事績に関する正誤選択問題。空所補充した上で解答を導く、二段階式の知識問題となっている。まず空欄キであるが、「トルコ共和国の紙幣」「父なるトルコ人」「トルコ人の父」といったところから、ムスタファ=ケマル(ケマル=アタテュルク)を想起したい。すると、 ①は正文。ケマルは1920年にトルコ国民党を率いてトルコ大国民議会を招集した。 ②も正文。第一次世界大戦後の1919年から起こったギリシア=トルコ戦争において、ケマルは指導者としてギリシア軍を撃退した。 ③も正文。ケマルはトルコ革命後の1924年にカリフ制を廃止し、政教分離を実現した。 ④が誤文。ケマルは大統領就任後、文字革命を断行してアラビア文字を廃止してローマ字を用いるようにした。
第3問 文学者やジャーナリストの作品
A 『デカメロン』
問1(解答番号12).解答 ④
解説 作品の作者と背景を答えさせる問題。史料として『デカメロン』と示されているので、作者は い.ボッカチオである。 あ.ペトラルカはボッカチオと同時期の14世紀に活躍したイタリアの詩人で『叙情詩集』を著した。 う.エラスムスは16世紀に活躍したネーデルラント出身の人文主義者で『愚神礼賛』を記した。文化の特徴としてはルネサンス期ということで T.「人文主義の思想」=ヒューマニズムが基調であった。 S.「ダーウィンの進化論」は19世紀になって出てきた学説であり、ルネサンス期のものではない。
問2(解答番号13).解答 ⑤
解説 史料中の空欄に当てはまる病を選ぶ空所補充と、その病に関する説明を組み合わせる問題。まず空所補充であるが、史料が『デカメロン』であることから、その背景としての知識から導くこともできるし、史料中に「1348年のことでございました」とあり、14世紀にヨーロッパで流行した病というところからも、 お.ペストと判断できる。 え.コレラは教科書的にはあまり取り上げられないが、19世紀以降、インドなどを中心に流行した疫病である。19世紀後半にコッホがコレラ菌を発見した。日本でも幕末に流行し多くの死者を出した。次にペストに関する説明としては、 Xは誤文。『デカメロン』の史料の3行目以降に「オリエントでは、鼻から血を出す者はまちがいなく死んだ由でした。しかしフィレンツェでは徴候が違います。」とあり、地域により病で亡くなる徴候が異なることが読み取れる。 Yが正文。ペストは西ヨーロッパで大流行し、農民の人口を激減させ、結果として農奴の待遇改善が求められることとなった。 Zは誤文。 『デカメロン』が記された14世紀はまだ大航海時代前でアメリカ大陸とヨーロッパの交流もなく、また、ペストはヨーロッパの東方から伝わったと考えられている。 新型コロナの流行という現代的な課題意識のもとで、史料の読解と世界史上の知識の活用を組み合わせた問題だったと言える。
問3(解答番号14).解答 ②
解説 修道院や修道会に関する正誤選択問題。従来のセンター試験でよく見た問題。 ①は誤文。モンテ=カッシーノに修道院を作ったのは修道士のベネディクトゥスである。インノケンティウス3世は12世紀末から13世紀初頭にかけて絶頂期を築いた教皇である。 ②が正文。シトー修道会は厳しい戒律の下で森林の開墾に取り組み、大開墾時代を築いた。 ③は誤文。クリュニー修道院を中心に改革運動を起こしたのは11世紀の教皇のグレゴリウス7世である。クローヴィスはフランク王国のメロヴィング朝を始めた人物で、キリスト教のアタナシウス派に改宗した。 ④も誤文。修道院を解散し、財産を没収したのは宗教改革期のテューダ―朝の君主であるヘンリ8世である。ヘンリ3世は13世紀のプランタジネット朝の君主で、シモン=ド=モンフォールの乱を招いた人物である。
B 大庭柯公の論評
問4(解答番号15).解答 ④
解説 世界史における宗教と教育・政治との関係についての正誤選択問題。リード文を読まずに解ける、従来のセンター試験的な問題。 ①は正文。フランスで政教分離法が成立したのは、第三共和政下の1905年である。 ②も正文。中世ヨーロッパにおいてはキリスト教的世界観の下、神学が重視され「哲学は神学の婢」とまで言われた。 ③も正文。イスラーム世界では学院であるマドラサが築かれた。 ④が誤文。隋や唐で整備された科挙は、仏教ではなく主に儒教の理解を問うた。
問5(解答番号16).解答 ②
解説 資料中の空所補充とそれにかかわるスローガンを組み合わせる問題。世界史的知識に基づいた資料の読解が必要となる問題。まずリード文より、資料が「19世紀以降のロシアにおける革命運動の展開について」のものであることを把握したうえで、空欄イは資料の1行目から2行目に「「農民の覚醒」について」「覚醒を促すに努め」とあり、空欄ウは資料の2行目から3行目に「覚醒を防遏するに苦心した」とあるので、イは農民の覚醒を進めようとし、ウは農民の覚醒を防ごうとしていたことがわかる。よって、農民の覚醒による下からの近代化を目指した「革命家」が空欄イに、皇帝専制政治を支えた「官僚」が空欄ウに該当する。そしてロシアにおいて「革命家」が「農民に対してその覚醒を促しつつあった」運動においてスローガンとしたのは「ヴ=ナロード(人民の中へ)」という言葉であり、革命家はナロードニキと呼ばれた。「無併合・無償金・民族自決」は第一次世界大戦末期にレーニンが掲げた「平和についての布告」である。
問6(解答番号17).解答 ③
解説 資料中の空欄に当てはまる人物を選ぶ空所補充と、その人物に関する説明を組み合わせる問題。まず空所補充であるが、空欄エの直後に「農奴解放を行った」とあることから、1861年に農奴解放令を出したアレクサンドル2世を導きたい。エカチェリーナ2世は18世紀後半のロシアの啓蒙専制君主である。次にアレクサンドル2世の事績についてであるが、 Xの樺太・千島交換条約は1875年に日露間で締結された国境策定条約である。アレクサンドル2世は1881年に暗殺されるので、この条約が締結された時点においての皇帝はアレクサンドル2世である。 Yのクリミア半島の獲得は18世紀後半にエカチェリーナ2世の下で達成されている。アレクサンドル2世はクリミア戦争を終結させているが、この時にはすでにクリミア半島はロシア領となっているわけである。
C ジョージ=オーウェル『1984年』の紹介
問7(解答番号18).解答 ①
解説 ジョージ=オーウェル『1984年』の概要に対する生徒の質問票に対する答えを選ぶ問題。リード文で作者の経歴として「1937年、トロツキーの影響を受けた組織の一員としてスペイン内戦に従軍した。」「『1984年』には、オーウェル自身の生きた時代についての政治的アイロニー(皮肉)や歴史観が反映されている」とあることに注目。生徒の質問票では「社会主義のために戦った作者」の「抑圧体制に対する批判」の背景を求めている。 ①が適当。先の経歴の「1937年」「トロツキー」から時期・地域ともにソ連のスターリンによる抑圧を想定できる。 ②・③・④は不適当。中華人民共和国で文化大革命がおこったのは1966年~1976年。資本主義陣営の中で「開発独裁」の国が出現したのは1950~70年代のアジアでよく見られる。朝鮮民主主義人民共和国で最高指導者の地位が世襲されたのは金日成から金正日への継承が初めてで、20世紀末のことである。いずれも時期からして不適当である。
問8(解答番号19).解答 ②
解説 「歴史資料の改ざん」をテーマに、提示した資料の名称と、資料改ざんの意図を組み合わせる問題。「資料の改ざん」というホットな話題とともに、資料を読解させつつ世界史的知識をもとに意図を考察させる、なかなか骨のある問題。まず資料の名称であるが、リード文で「18世紀の中国の朝廷は、大規模な図書編纂事業を行った」とあるところから、清の乾隆帝のころに編纂された『四庫全書』を導きたい。『永楽大典』は15世紀に明の永楽帝の命で編纂された百科事典。『資治通鑑』は11世紀に北宋の司馬光により編纂された歴史書である。次に改ざんの意図であるが、この提示された文章が遼から宋にもたらされた手紙ということを把握したうえで、資料中の波線部で改ざんされているのが、「皮衣を着て」「左前の服を脱ぎたい」「漢人の衣装を着て」とあって、遊牧民である契丹の文化と、宋で暮らす漢人の文化の違いを示していることに注目したい。清国においては遊牧民である満州人が漢人を支配しており、辮髪の強制など満州人の風俗を漢人に強制していた。遊牧民と漢人の文化・風俗の違いを殊更に取り上げることは、満州人の支配の正当性を脅かす可能性があったということだろう。
第4問 世界史上の文書
A 19世紀にヨーロッパで締結された条約
問1(解答番号20).解答 ②
解説 資料である条約が締結された戦争と、この条約が締結される前に破棄された条約を答える問題。資料として掲げられた条約名は伏せられているので、二段階の知識活用が求められる。まずこの資料であるが、リード文で「19世紀」「ヨーロッパで締結された」とあること、資料中に「ルーマニアの独立を承認する」とあること、一度破棄されたあとに新しく結ばれたものであることから、1878年に露土戦争後のベルリン会議で締結されたベルリン条約と判断したい。そしてこのベルリン条約により破棄させられたのがサン=ステファノ条約である。クリミア戦争も19世紀におきた戦争ではあったが、この講和条約であるパリ条約ではルーマニアは独立していない。
問2(解答番号21).解答 ②
解説 資料中の空欄に該当する地域を地図上から選ぶ問題。この資料がベルリン条約とわかれば、「スルタン陛下の主権のもと」「キリスト教の政府と国民軍を保持する」「自治公国」としては、オスマン帝国を宗主とする自治公国となったブルガリアが想定される。 aはベルリン条約で独立が承認されたモンテネグロ、cは独立戦争により1830年にオスマン帝国から独立したギリシア、dはベルリン条約でイギリスが行政権を得たキプロス島である。なお、bがブルガリアに該当するが、その地域の南が今回の資料の第13条で示されている東ルメリアに当たる。
問3(解答番号22).解答 ③
解説 資料のベルリン条約締結後に起こった出来事に関する正誤組み合わせ問題。従来のセンター試験でよくあったパターンである。 あ.誤文。1908年に青年トルコ革命がおこると、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。 い.正文。1914年にオーストリアの帝位継承者がサライェヴォでセルビア人の青年に暗殺されるサライェヴォ事件が起き、第一次世界大戦へと発展した。
B 上野動物園での日中関係に関わる会話
問4(解答番号23).解答 ①
解説 リード文および資料の空欄を埋める空所補充問題。資料が挙げられてはいるが、リード文だけで空欄に該当する解答がわかってしまうので少し残念である。 空欄イはリード文の「中心とした連合軍によって占領された日本」というところからアメリカ合衆国と判断できる。加えて、資料Xで「リチャード=ニクソン大統領」とあるので間違えようもない。 空欄ウはリード文の「参加したけど条約には署名しなかった」「1956年に共同宣言を出して」で1956年の日ソ共同宣言で日本と国交を回復したソ連と判断できる。
問5(解答番号24).解答 ③
解説 資料X~Zの配列問題。資料自体の年代からも判断できるが、ここは戦後国際政治の推移がわかれば年代がわからずとも答えを導ける。 資料Xは米中共同声明であり、ベトナム戦争の打開を求めて1972年2月にニクソン訪中を受けて出されたものである。 資料Yは文面から中ソ友好同盟相互援助条約と判断でき、冷戦初期に社会主義陣営の結束を求めて1950年に調印されたものである。 資料Zはニクソン訪中を受けて、日中国交正常化を求めて日本の田中角栄内閣の下で1972年9月に出された日中共同声明である。よってY➝X➝Zという順になる。
問6(解答番号25).解答 ②
解説 サンフランシスコ講和会議における中華人民共和国の対応の背景となる国際関係を問う正誤選択問題。リード文に合わせた出題と言える。 ①は誤文。中国共産党と中国国民党が合作したのは、第二次世界大戦前の1924年と1937年の2回であり、第二次世界大戦後には国共内戦となっている。 ②が正文。1950年代の冷戦の最中、アメリカは社会主義国である中華人民共和国ではなく国民党の中華民国政府を中国の正式代表とした。 ③は誤文。朝鮮戦争において、中華人民共和国は北の朝鮮民主主義人民共和国を支援して人民義勇軍を派遣した。 ④も誤文。中華人民共和国が民主化運動を武力弾圧したことは何度かあったが、特に国際的な批判が高まったものとしては1989年の天安門事件が挙げられ、リード文の背景としては時期的に異なる。
C 英領インド統治に関する授業
問7(解答番号26).解答 ①
解説 資料中および会話文の空欄を埋める空所補充にもとづいた二段階式の知識問題と、資料の読み取りを組み合わせた問題。今度は資料の読み取りは世界史的知識を前提としておらず、極めて国語的な問題となっている。まず空所補充であるが、会話文で「古代インドで多くの文学作品が書かれた」とあることから、サンスクリット語と判断したい。となると、サンスクリット語の文学作品としては あ.『シャクンタラー』が該当する。 い.『ルバイヤート』はウマル=ハイヤームによって記されたペルシア語の詩集である。次に資料から読み取れる事柄であるが、 Wが正文。資料の6行目(2段落目)から「公共教育委員会の半数の委員は英語であるべきだと主張しています。残り半数はアラビア語と エ 語を推しています」とあり、公共教育委員会の中にアラビア語を推している者がいることが読み取れる。 Xは誤文。資料の最後の文に「西洋の文献の本質的優越性は、東洋的教育方式を支持する委員諸氏によっても十分に容認されるところ」とあり、また、その前にもインドやアラビア語の言語で書かれたすべての文献がヨーロッパの図書館のたったひと棚分である=西洋の文献の方が圧倒的に多いということを、マコーリーの出会った東洋学者の中で否定するものはいない、と述べており、西洋の文献の優位性は否定されていないといういことがわかる。
問8(解答番号27).解答 ③
解説 こちらも会話文の国語的な読解と、世界史的知識を問うことを組み合わせた問題。英語教育導入の動機としては、 う.誤文。会話文で下線部bのある先生の会話より、「ペルシア語や、資料で「土着語」と記されたインド諸語がイギリス統治以前の諸王朝で用いられていました」とあり、当然ながら英語がイギリス統治以前の諸王朝で用いられていたことはあり得ないだろう。 え.正文。会話文の最後に「植民地政府は英語も使えるインド人役人を必要としており」とあり、英語とインド諸語を理解するインド人役人の育成がインドにおける英語導入の動機と読み取ることができる。インドにおけるイギリスの植民地政策の特徴としては、 Yが正文。イギリスはインド大反乱後に英領インド帝国を成立させるまでは、ムガル帝国において一部を藩王国を存続させて間接統治をおこなった。 Zは誤文。ベンガル分割令はムスリムとヒンドゥー教徒とを対立させるためであった。仏教徒は当時大きな勢力ではなかった。
問9(解答番号28).解答 ②
解説 ムガル帝国時代のインドについて問うた正誤選択問題。従来のセンター試験でもありがちな問題。 ①は誤文。タミル語は南インドにおいて紀元前後から使用されてきた言語である。 ②が正文。タージ=マハルはムガル帝国第5代皇帝のシャー=ジャーハーンが王妃のムムターズ=マハルのために築いた墓廟である。 ③は誤文。ワヤンが発達したのはインドの影響を受けた東南アジアのインドネシアにおいてである。 ④も誤文。ウルグ=ベクは15世紀のティムール朝4代目の君主である。
第5問 旅と歴史
A ヨーロッパ旅行
問1(解答番号29).解答 ①
解説 ある地域についての歴史に関する正誤選択問題。選択肢としては従来のセンター試験でよくあるものだが、地域名が明らかになっていないので、二段階の知識活用を必要とする問題。地域1については、リード文の「イタリア半島と北アフリカとの間にある」「ガリバルディという人がイタリア統一の過程でこの島を占領した」でシチリア島と判断したい。すると、 ①が誤文。シチリア島はイスラームの影響を受けたが、その結果ギリシア語やアラビア語の文献がラテン語へ翻訳されることとなった。 ②は正文。12世紀前半にノルマン人が南イタリアとシチリア島に侵入し、両シチリア王国を建国した。 ③も正文。第二次世界大戦中の1943年に連合国軍はシチリア島へ上陸し、イタリア本土に迫り、ムッソリーニは国王に解任されることとなった。 ④も正文。シチリア島には地中海で活躍していたギリシア人やフェニキア人の植民市が築かれた。
問2(解答番号30).解答 ①
解説 文章中の空所補充と、空欄にもとづいた知識を問う二段階の知識活用問題。まずリード文の地域2であるが、「ヨーロッパ大陸近くにある島国の首都」「1851年に万国博覧会が開催」とあることから、イギリスのロンドンと判断できる。すると「大陸の王家と関係が深く」「14世紀にはじまり15世紀まで続いたこの戦争」とくれば、1337年~1453年の間に起こった英仏百年戦争が想起される。よって空欄アにはフランスが該当し、 あ.正文となる。フランスは第一次世界大戦後の1923年に敗戦国のドイツに対し、賠償金の支払いを求めルール占領を行った。 い.誤文。カルマル同盟でデンマークと同君連合となったのはスウェーデンとノルウェーである。 一方、空欄イについてであるが、リード文で書かれている戦争が百年戦争なので、 Xが正文。百年戦争はフランスの王位継承だけではなく、毛織物業の盛んなフランドル地方も争われた。 Yは誤文。ノルマン朝が成立したのは1066年のノルマン=コンクェストによってであり、百年戦争より前のことである。
問3(解答番号31).解答 ②
解説 リード文で示した地域1~3が古代ローマの支配下に入った順序を問う配列問題。従来のセンター試験でも問われてきた内容ではあるが、地域1~3をリード文を読んで判断する必要がある。 地域1は問1でも触れたとおりシチリア島であり、前3世紀のポエニ戦争により古代ローマが初めて獲得した属州であった。 地域2は問2でも触れたとおりイギリスのロンドンで、古代ローマの支配下に入ったのは後1世紀になってからであった。 地域3はリード文の「イオニア人のポリス」「古代には民主政が発展」「近代オリンピックの第1回大会がこの年で開かれた」といったところから、ギリシアのアテネと判断できる。アテネが古代ローマの支配下に入ったのは前2世紀半ばである。正確な時期がわからずとも、イタリア半島近く➝地中海➝ヨーロッパ全土と古代ローマは広がっていったことをイメージできれば、地域1➝地域3➝地域2という順序を導けただろう。
B 韓国旅行
問4(解答番号32).解答 ④
解説 会話文中の空所補充の問題。空欄ウは、この会話が韓国における石碑を前に行われていること、「幼かった国王に代わり、当時の実権を握っていました」とあることから、い.大院君と判断できる。大院君は19世紀後半の朝鮮において高宗の摂政として権力を握っていた。 あ.西太后は清代後期に実権を握っていた皇后である。 次に空欄エであるが、会話文で「洋夷が侵犯してくる時に、戦わないのは和であり、和を主張するのはすなわち売国である」とあり、石碑では欧米に対し戦わないことを批判しているので、「欧米列強に対して徹底的に抗戦する」とあるYが該当する。 Xの民間人の海上貿易を許さず、政府が管理するのはいわゆる海禁政策であるが、この石碑では触れられていない。
問5(解答番号33).解答 ②
解説 会話文中の空欄について問うた正誤選択問題。空欄に当てはまるものを想定したうえで答える二段階式の知識問題である。まず空欄オであるが、「14世紀末の建国以来、朝鮮が重んじた」教えなので、儒教の中の朱子学と判断できる。よって、 ①は誤文。魏晋南北朝時代に寇謙之によって教団が作られたのは道教である。 ②が正文。明の時代、王守仁=王陽明は朱子学を批判して陽明学を説いた。 ③は誤文。唐代、義浄らによって仏教の経典がインドから持ち帰られ、翻訳された。 ④も誤文。王重陽は金の統治下で道教の革新をとなえて全真教を創始した。
問6(解答番号34).解答 ①
解説 朝鮮において19世紀に干支で表された事件について順序を並び替える配列問題。定期テストなんかでもありそうな問題。 う.軍隊による反乱ということで1882年の壬午軍乱のことである。 え.急進改革派のクーデタは1884年に起きて甲申事変と呼ばれた。 お.東学による農民戦争は。日清戦争のきっかけともなった、1894年の甲午農民戦争である。もちろんそれぞれの時期がわかっていれば解けるが、干支は十干(甲・乙・丙・丁…)が十年で一巡り、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳…)が十二年で一巡りなので、干支がわかれば答えられる問題でもあった。
以上で終わり。
なかなかボリューミーで第二日程に間に合いませんでした。内容としてはリード文の読み込みや、二段階式の知識問題が目立ちました。その一方で従来のセンター試験と同じような選択肢の問題も残り、過去問演習も引き続き必要ですね。
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