
見送り
父も、母も、もう他界してしばらくが経つ。私も、もう、いい歳で。父も母も、生きていればそれなりの歳なのだから、もう、亡くなっていても当然と言えば当然だ。
3年前に長男が就職し、今年は長女が就職した。そして2人とも、家を出た。子供も、親離れする。そして、親も、子離れをする。これも、当然の話だ。
長男も長女も、就職したら独り暮らしをしたいと、学生時代に実家暮らしをしながら常に言っていた。だが、私は、心の中では、家から通って欲しいと思っていた。
今の我が家は、幸いにして、家内を中心にした日頃の家族LINEでの共有で繋がっている。そして、色々なイベントや長男の出張、長女の帰省があって、実際に集まることもあり、家族の時間が、かなり多い方だろう。
家内と子供たち。子供たち同士が仲が良いのが、そういう関係を保っていると言って良い。それは、本当に有難いことだ。そう、思っている。
長男も長女も、就職を機に、職場が実家から離れていることもあって独り暮らしを始めている訳だが、私は、ちょっと寂しい。家内がいてくれているから、それほどでもないのだが、私は、賑やかな方が嬉しいのである。ひょっとしたら私は、元来、寂しがり屋なのかも知れない。
ふと、最近になってよく思い出すことがある。
私は、兄と2人兄弟だが、兄は、就職してからすぐに実家から遠方に赴任し、仕事も不定期で忙しかったため、ほとんど帰省することが無かった。対して私は、すぐに帰れるところの会社の寮に入ったため、ちょくちょく実家に帰っていた。
ある日曜日、昼過ぎに、寮に帰ろうと身支度をしていたら、部屋に父が入ってきた。
父は、
できるだけ、帰れるときは、帰って来いよ。お母さんが、寂しがってるからな。
そう、言った。
私は、面倒くさそうに、
ああ、分かったよ。
そう、こたえた。
しばらくして、今度は、母が部屋に入ってきた。
母が、私に言った。
お父さん、ああ見えて、コジがいないとき、コジ、元気かなぁ。大丈夫かなぁ、そう、言うてるんや。時間が許す限り、帰って来てやってな。お父さんのために、な。
私は、
ああ。
と、ぶっきらぼうに返事をした。
なんだよ。2人とも、同じ事を言ってるじゃないか。そんなに、寂しいのか。
その時は、父の気持ちも、母の思いも、わからなかった。
私が、いよいよ帰るとなったとき、父も母も、散歩だと言って、最寄りのバスの駅までわざわざついてきて、私を見送るのだった。それも、手を振って。
父も母も、顔は笑っていたが、どこか確かに寂しげだった。そして私は、ちょっと恥ずかしかった。
何十年も経って、今は、あの時の父と母の気持ちが、よく分かるようになった。その父も、母も、もう、いない。
私は、長男や長女を見送るとき、家内の隣で、あの時の父と母を、心の中で、静かに思い浮かべている。