ショートショート_伝説
夢をみるというのは、希望ある未来を描くという意味と、字の如く寝ているあいだに夢をみるという意味の、二つある。
私は還暦を既に超えていて。今更、希望ある夢をみるというと、どこかから年甲斐もなくなどと言われそうだ。
現実、家族にも言われるのだ。
「コジくん、前々から荒唐無稽な夢幻を語るけど、もう、還暦も過ぎたんだし、分別ある発言と行動をしたほうがいいよ」
確かに人生のアディショナルタイムに入ったとも言えるかも知れない。
だが。
人生100年時代と言われる。あんなのはマスコミや役所の作り出した戯言だとも言えるが、このあいだテレビで「あんたの夢かなえたろか」という番組を見ていて、キムタクファンの101歳のおばあちゃんの話とバブリーダンスを荻野目洋子と踊りまくるお姉様方の姿を見て悪ガキの私が珍しく感動した。
むろん、子供たちとミセスグリーンアップルにも涙したが。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと呟いた。
コジ、人生これからだよ。これから先こそ、夢だらけだぜ。
そんな日曜日の午後に、またもや、荒技をやってしまった。
さて、小牧幸助さんの、シロクマ文芸部の最新お題は、木曜日に出る。
そして、今回のお題は、「夢を見る」から始まる小説・詩歌・エッセイなどを自由に書いてみませんか?ということで。
そして、たらはかにさんからのお題は…。
表のお題が【誤字審査】で。裏のお題が【もじもじ社】|д゚)チラッ、
ということだ。
むむっ。ちょっと今回は、この「社」を、ひねって作ろう。
そしてさらに、山根あきらさんの、青ブラ文学部のお題は、これだ。
お題は「謦咳に接した記憶」。(「謦咳」は「けいがい」と読みます😊。)と、いうことで。
謦咳に接するというのは、尊敬する人に直接話を聞くとか、お目にかかる負荷という意味、らしい。
今回はこれを文中に入れ込んで作ろう。
お三方の企画は両方とも、膨大な数のファンの方、参加希望者を抱えていらっしゃって。お題を出すだけでも、大変だと思うのである。それでもお題を出してくれる。毎週。ほんとうに、ありがたい限りだ。すごく励みになる。
また、今回もシロクマ文芸部作品を読んでみた。青山風游(あおやまふゆ)さんの作品である。シロクマ感想文として、ちょっと述べてみる。
作品を読んでいて、星新一のショートショートを思い出した。
ブラックジョークっぽくって。読後に自問の種が落ちてくる雰囲気。
どう考えてもやはりこれは、星新一だ。
小説は、非現実だからこそ良いのだろう。そこに書かれてあり、疑似体験したことはリセットできる。だからこそ楽しめるし生きるための糧にもなるのだ。
この作品内の、こういうことに陥らないように、自分のオールは自分で離さず、自分の船を漕いでいきたいと思う。
自分の人生は、自分のものであるのだから。
それにしても、一度きりの人生。残りのアディショナルタイムを、どう生きていこうか。
そんな思いが、最近フツフツと私の脳みそを襲ってくる。
もしかしたらこれも、アリとケイトに観察されていて。
「この古びた脳は、観察していても面白くないから、もう廃棄しよう」なんて、今、言われているのだろう……。笑
今生きていることに感謝して。今宵も、月に祈ろう。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
せっかく出していただいたお題を、小牧幸助さんの始まりの言葉と、たらはかにさんの裏表のテーマ、そして山根あきらさんのお題と、4ついっぺんに書く荒技。まして、シロクマ感想文まで、5重の荒技。やりすぎじゃないかな。
うむ。
これで何週間だろうか。まあ、続けられるだけ、続けるさ。
心の中の、リトルkojuroが、また、ボソリと、呟つぶやいた。
なんだか、悪ガキだな。
まあな。
私は、この荒技シリーズを、もう少しきちんと書きたいのだが、いつも中途半端である。
なんのはなしですか。
さて。それでは、本編にまいりましょう。今週の荒技、「伝説」約410字を、どうぞ。
☆ ☆ ☆
夢を見るというのは不思議だとつくづく思いながら涼は目が覚めた。
あの社に声をかけられたのである。
社は伝説のエージェントで。泉も涼も怪物級の敏腕エージェントだが、及ぶべくもない存在だった。
だが極端な人見知りで。何かを教わろうと思って話しかけても、モジモジしながら頭を掻き、返ってくる言葉はいつも決まっていた。
「ボクなんかは、運で切り抜けているだけだから……」
涼も泉も。その言葉の中に偽りを見いだすことは出来ず、ただ卓越した異次元の世界を感じずにはいられなかった。
社はまだまだ社会貢献を期待されていたにも関わらず、定年退職を機にキッパリと現場を去ってしまった。
泉はそれを知り、号泣したほどだ。
退官の挨拶メールにその理由の一端を書いていた。
「報告書を書くのが苦手で。上司に誤字を指摘させるのが億劫になり……」
何とも人間臭い。
夢で確かに聞こえたのだ。
「気負うな。自然に、ただ善(注1)を施せ」
これが涼の唯一の、謦咳に接した記憶なのである。
☆ ☆ ☆
荒技を何とかやり終えて、その苦労話のそんなこんなを家内と語らおうとしてソファーに目をやると、家内が脚を指さしてニコリと笑って言った。
荒技なんてどうでもいいから。マッサー(注2)、頼んまっさー。
マッサージをすると家内は上機嫌である。
家内が上機嫌であれば、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)今回の文中にある「善」だが。これは、西田哲学でいうところの「善」のことだ。涼の愛読書のひとつに、『善の研究』がある。
(注2)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。