観音寺
noteの世界で、30年かけて日本史を綴っている偉人がいる。
その偉大な人の名は、じゃむむさんである。
以前、記事にもした。
そして毎日、私は、じゃむむさんの記事を楽しみにしていて。読みに行くのである。
ある記事で、近所の観音寺のことが記事になったことがあり、私は歩いてでもいける距離だとコメントしたのだ。
確かに、歩いて行ける距離なのである。だが人間、いつでも行けると思ってしまえば、かえって行かなかったりするのである。
そして7月の中旬、思い立ち、ようやく訪れることが出来た。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジは、面倒くさがりだから。
そして、恐る恐る、聞いてみたのだ。毎月16日の供養が、今も行われているどうかについて。
すると、きちんと教えてくれた。
先代の住職がいたのは今から15年ほど前まで。それまでは、毎月16日の供養は続けていたという。それからも数年間は毎月の供養をやっていたらしいが、檀家の人を集めるのも難しくなり、時代の流れもあり、今は、5月16日、1年に一度の総供養会でのみ、供養を行っているとの話だった。
ほんの十数年前まで、毎月行っていたというのは驚くべきことである。
歴史とは、考えれば考えるほど、深い。
観音寺の帰り道。ふと、空を見上げると、青空が本当に青かった。
なんのはなしです家。
あの時のそんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。
コジくん、つきあったんだから、わかってるわよね。
……。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。