タモリ
今日は、真面目に、企画ものに参加しようと思っている。
山根あきらさんの企画である。
タモリは好きで。だが、記事にしたことがない。だから、今回、この企画に乗り。少しいつもと違った記事を書いてみようと思った。
だが。
今回の記事。エッセイというか、まあ、それに似た、似非エッセイである。しかも、何の役にもたたない、結論もオチもない駄文で。企画の字数制限から、2,000字は、ある。
だから。時間の無い方、興味の無い方は、読まれない方が良い。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
だったら書かなきゃ良いのに。コジ。
まあ、良かろう。
では、企画、本文約2,000字あまりを、どうぞ。
なんのはなしですか。
高校、大学と学生時代。だいたいの友人は、好きなタレントと言えば、ほぼ、ビートたけしだった。
私は、タモリが好きで。ひとり、タモリストを勝手に名乗っていた。
「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」も好きだったし、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」も、悪くなかった。
タモリはいつも飄々としていて。
教養があるのにそれをひけらかさない。
ただ、名古屋と卓球をイジり倒していて。公然と言っていたから、卓球をやっていた人や名古屋の人はきっとタモリが嫌いだろうと思っていた。
しかし卓球は今や凄い人気と実力で。卓球台の色が緑一色から青色などバリエーションができて変わったのも、ボールの色が多色化したのも、タモリが根暗なスポーツだと言い続けていたからイメチェンしたのだと水谷隼が言っていたのを聞いたことがある。
タモリは自分の、卓球に対する発言についての謝罪と同時に相当額を卓球協会に寄付をしたらしく。水谷によると、タモリは卓球をメジャースポーツに引き上げた陰の功労者だという。
確かに、卓球はほんとうに進化を遂げた。オリンピックでメダル獲得常連の競技にまでのし上がった。大会で得られる賞金もかなりの額だそうで。強くて運が良ければその賞金だけでも食っていける。それを日本人に真の意味で知らしめたのは、他ならぬタモリだったのではないだろうか。
では、名古屋はどうであろう。
タモリによって、何らかの好影響があったのだろうか。
タモリは、「笑っていいとも!」でも、「ブラタモリ」でも、名古屋を訪れて番組を放映している。本人は、名古屋のことを別に嫌いじゃなくて。方言が特徴的で面白いから、それを言っただけだと言うようなことをどこかの番組で言っていたのを聞いたことがある。
「えびふりゃぁ」という名古屋弁を連発していて。名古屋と言えば、私などの世代は、「えびふりゃぁ」が最初に出てくる。
本当か嘘かはわからないが。名古屋でいろいろなものにエビフライをトッピングするようになったのは、タモリが言っていたからだという話もあるそうだ。
名古屋の商売人は、ちゃっかりしている。
経済という側面から言うと。東京は数と規模で勝負。大阪は歴史とユーモアで勝負。名古屋は、実力と堅実さで勝負。福岡は、全部揃ってはいるが、こじんまりしていて物価が安くて住みやすい。
私などは、昔からそう感じている。偏見の部分はあるが。
名古屋は、本質的に強いのだ。ちょっとやそっと茶化されたくらいでは、ビクともしない。だからこそ、福岡出身のタモリは、敢えて茶化したのだろうなんて思ったりする。
私は、タモリの何が好きなのだろうか。
タモリの番組としては上述したもの以外に、私が好きだった、あるいは好きなものを少しあげてみよう。
「ミュージックステーション」は、同一司会者の生番組で世界最長放映のギネス記録になっているらしい。あとは、「ボキャブラ天国」、「トリビアの泉」……枚挙に暇がない。
音楽にも造詣が深く、笑いにも深みがある。何より、無駄を堂々と無駄だと言い放ち。無駄にこそ遊びや面白さがあるという。
そう言えばタモリが「効率」とか「コスパ」とかいうテーマで何か番組をやったり、書物を書いたり、発言したりしたのを目にしたことも耳にしたこともない。
タモリを見ていると、それ相応以上の、ちょっと異常とも言えそうなほどの教養も備わっているのにそれと背反するようなことをわざわざしていて。しかも、それを楽しんでいるように見える。見ていてなんだか安心するのは、そういう突き詰めない余裕なんだろうと思う。ギスギスしていない。尖っていない。そこだ。
それに比して、今の世の中、どうにも間違っていると思うようなことが多い。
SNSにおける誹謗中傷もそうだ。世界で無くならない、戦争などの諍い事もそうだ。
それを一旦置いておいても、いや、それを置いておいて良いのかどうかもわからないが、脇に無理やり置いておいたとして、平和であろう社会や国でのビジネスの世界においてと、効率とかコスパ、タイムパフォーマンスだけが取り沙汰されて、いかにもな評論家やその人物が書いた書物、出演する番組だけが跋扈する。
とかくこの世は住みにくい。どうしてこれほどまでに、建前だけの、中身が空っぽな、つまらない張りぼての世界になってしまったのか。
詭弁という言葉がある。
タモリの口から出る言葉は、一見、嘘のようにも、詭弁のようにも感じられたりするが、それは、いつも、笑いに裏打ちされた、遊びなのである。
そしていつも、面白くもない、突き詰めた息苦しさへの、アンチテーゼなのである。
写真家の篠山紀信が言っていたことがある。タモリの、ニヤリと笑う写真を前に。
普通の人は、こんなポーズをしない。ダラリと腕を鉛直に下ろし。足を肩幅に開いて、真っ直ぐ立ち。そして、ニヤリと笑っている。
世の中を飲み込んでいる。別の言葉で言うと、馬鹿にしている、と。
世の中の忙しなさやややこしさを、タモリは超越している。だからこそ、面白いのである。
ここまでツラツラと書いてきて。だが、待てよ、と、思うのである。
こういう面白さを持ったタレントを、もうひとり知っている。それは、たけしである。
他を寄せ付けない圧倒的な人気を博していたのは、私の周囲では、ほぼ、たけしファンで。どうしてコジは、タモリなんだ?と、訝しがられたものである。
だが。
この2人、根本的な違いがある。私にとっては。私には、笑いの神様は天才バカボンであり。そして、赤塚不二夫なのである。
その赤塚不二夫のところに転がり込み。赤塚不二夫をして、面白いと言わしめたタモリを尊ばずして誰を尊ぶのか?という話である。
私は、タモリが好きなのである。たけしよりも、タモリだ。タモリ派だ。
なんのはなしですか。
だが。
これで、いいのだ。
そんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。
コジくん、変……。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
……。
了