さくらとひと | 14歳の自分へ
「春眠、暁を覚えず」
眠りから覚めた瞬間に、意識は混濁してまた夢のなか。
30歳を過ぎてから身体的にも精神的にも無理が効かなくなった。正確に言えば、自分の限界を知って、無理をしなくなった。
嬉しすぎて走り出したり、塞ぎ込んでみたり、感情に任せて怒ったり、とにかく一喜一憂することがとても減った。これも正確に言えば、そうしなくなった。
良くも悪くも僕はきっと純粋だ。これは単なる自己賛美ではなくて、普通の人が知っていることを知らなかったり、ある意味でそういう自分も認めていきたいという過去の冷笑主義・自虐的な自分に対するエゴでもある。
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「春」という季節は僕にとっては特に憂鬱な季節だ。変われない自分と勝手に過ぎていく時間、社会にうまく適応して変わっていくことのできる周りとをずっと比べ続けていた。
今だってそういう傾向は一向に自分の心にへばり付いて離れないし、偏った認知に支配されたりもする。こうやって自分の知識や考え方を変えてみても、それは過去の自分への餞別になったりはしない。「なんかズルいな」と感じてしまう。
「過去は変えられない。だから前だけ向いて歩いていけよ」みたいなちょっとしんどい前向きさは僕にはないし、どこかでそれを馬鹿にして心の底でクスクス笑っている自分も居る。そういうニヒリズムというか、空虚さや虚無の中でしか生きてこれなかった自分にはどんな言葉もただただ無に等しいのだ。
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14歳の頃にはとっくに死にたかったのだと思う。自分の知らないことに対する知的好奇心が旺盛だったことや、ある意味で"知らなくていいコト"に僕はとっくに気付いてしまっていて、それに対する現実的・再現性のある手立てなどないことも相まって絶望した。
とにかく他人に興味がなかったから、自分のことばかりだったな。物わかりも良すぎたし、大人から怒られた記憶がない。扱いやすい子どもだったと思う。そういう外面だけがとても良かった。全然そんなことなかった。
14歳なりの全能感を心の開ける人には見せられたのだ。子どもだった。大人でもあった。どちらでもない存在に悩んで苦しんで、そういう無力さを知った。自分が何者なのか分からなくなって、きっと今もそれを引きずってる。
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「桜なんて何がそんなに良いんだ?」と、ずっと分からなかった。祖父が死ぬ前に車椅子を押して家族で桜を見にいった時も、この時期に花見をやたらとしたがる大人たちも全く理解できなかった。理解できなさに酔ってすらいた。
どうせ死ぬから生きるだけの人生を僕は卒業してしまったのだな。だから、もう歌えることも曲を書いたりすることも出来ない気がしている。伝えたいことって別にない。元からないし、今も半ば無理やり作り出してる。
僕は他人からの評価にとても敏感だから、自分が求められていないものを作ることはきっと出来ない。今もきっと誰かの都合の良い駒に過ぎなくて、それはちっとも変わってなくて、それでも過去の自分や今とちょっと違う未来に夢見たりして、そこから醒めないように今は春と眠っていたい。