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空想科学読本がシン・ウルトラマンと私を繋いでくれた

私は初代ウルトラマンをはじめ、ウルトラマンシリーズは一切見たことがない。そんな私がウルトラマンについて知っていることは以下の通りだ

・ウルトラマンは宇宙からやってきたが、その衝撃で地球人のハヤタ隊員の命を奪ってしまう。
・ウルトラマンはハヤタ隊員に命を分ける。
・普段はハヤタ隊員の姿で、有事にはウルトラマンに変身する。
・変身は3分しかもたない。時間がギリギリになるとスペシウム光線で怪獣を倒す。
・怪獣はバルタン星人とかレッドキングとかグドンとかツインテールとかが出てくる。
・グドンはツインテールを捕食する。エビの味がして美味い。
・火星に放置された人間が怪獣化してジャミラになった。
・最終話でウルトラマンは1兆度の火の玉を吐く怪獣ゼットンに敗れてしまう。
・その後ゾフィーが来てなんとかしてくれる。

という感じ。別の作品と混同したり間違っているところもあると思うが、記憶のまま書いた。見たことがないくせに思い出すことが色々あったが、それらはすべて空想科学読本を読んでいたからだ。

柳田理科雄氏の著書「空想科学読本」は特撮やアニメなどの設定が現実世界に存在したらどうなるか、ということを科学の視点から見た本であり、子供心に面白く読んでいた。特に5巻ぐらいまでによく見られた、著者が幼少期に触れた作品を考察する回は文章の想いも熱く、読んでいて非常に楽しい。私がウルトラマンについて持っている知識はすべて本書由来だ。

さて、シン・ウルトラマンを見よう。
シン・ゴジラを面白く鑑賞できた者として、シン・ウルトラマンに対する期待はもはや会議シーンだけだった。なんかそれっぽい用語と、冗長なプロセスが変にリアルで面白い。ただ、先にシン・ウルトラマンを見た友人は「シン・ゴジラを期待すると肩透かしを食らう」と言っていたので、もはや何を期待すればいいのかわからなかってきた。とすると、私の想いとしては初手スペシウム光線でいきなり怪獣を爆殺してほしいくらいのものだった。



映画館にて見終わったので、これからバキバキにネタバレのあるシン・ウルトラマンの感想を書いていく。考察ではない。


さて開幕直後、いきなり怪獣が出てくる。怪獣の名前・特徴・そして人間が駆除した結果をナレーションもなしに淡々と示される。なるほど、頑張れば人間でも倒せるのね、怪獣。

その後、強そうな怪獣が出てきて対処がうまくいかない。兵糧攻めくらいしか打つ手なしか、というところでウルトラマン登場。地上に降り立った時は大きめの隕石ぐらいの衝撃があり対策本部が激しく揺れた。
そして初手スペシウム光線で倒す。やったぜ。私が設定した本作へのハードルを超えた。これは期待が高まる。

そこから怪獣がどんどん出てくるわ、ウルトラマンが倒すわ、偽ウルトラマンが出てくるわ、監禁されるわで、ボスラッシュのようにどんどんとバトルが繰り広げられる。なるほど、これはシン・ゴジラじゃない。

そこでメフィラス星人という、目的意識がはっきりしていてPDCAサイクルを回してくるタイプの異星人がやってくる。彼らは人間を道具のように扱おうとするが、紆余曲折を経て、爆殺されるのではなく自身の星へ帰っていく。
メフィラス星人との邂逅を経て、人間の中で地球外生命体に対する無力感みたいなものが薄っすらと広がる。どうせウルトラマンがなんとかしてくれるんでしょ的な。

そして、ゾフィーがゼットンを持ってくるのである。もはやゼットンは怪獣ではなく、天体制圧用の兵器だった。
ゾフィー(ゾーフィ?)いわく人間を兵器転用する技術が脅威になりうるということで、ゼットンを用いて太陽系ごとぶっ壊すというのだ。そうそう、たしか空想科学読本によるとゼットンの1兆度の火の玉ってそのくらいの威力あったよね。ちょっと興奮。

ウルトラマンはゼットンに挑むもやはり返り討ちにされる。さあ、これをどうするか。もはや絶望である。

一瞬私は「みんなでウルトラマンを応援しよう」という字幕が現れ、強制的に発声応援上映会が始まる危険性を感じたが、そうはならなかった。よかった。

ウルトラマンが残してくれた文書をもとに、世界中の科学者が協力し、対抗策を見出す。そして復活したウルトラマンとともにゼットンを倒し大団円。地球の危機は救われた。そしてゾフィーとウルトラマンの対話で幕を閉じる。
いやぁ、まあ、とんでもないご都合主義ですね。別に私は都合のいい展開は全く苦にならないタイプで、この駆け足ヤケクソ感は結構好みである。ただその勢いが時間としてあまり持続せず、すぐエンドロールに向かってしまったので若干の消化不良を感じる。


見終わった私はとりあえず感情を整理するために、あやふやだった初代ウルトラマン最終話のあらすじを確認した。なるほど、ウルトラマンはゼットンに敗北して死亡するも、人類が作り出した兵器でゼットンに勝利、その後ゾフィーが現れてハヤタとウルトラマンに命を与え、ウルトラマンは故郷へ帰っていく。というもの。これシン・ウルトラマンじゃないか……?
シン・ウルトラマン初代ウルトラマンのリメイク説はこれまでの作品に詳しい諸氏に任せよう。ただ、似たようなことを言っている人も多く、この感覚は妥当な気がする。

さて、当時の作品を現代に再構成するなら、今の時代背景に合わせた演出が必要だ。
そういう意味で、巨大化した女性をローアングルで撮影した画像がネット上にばらまかれるというのは嫌なリアリティがある。実際に女性が巨大化したらネットはそうなるだろうという残念な納得感がある。気持ち悪いが、そう思わせる時点で表現として成功している。だけどセクハラが過ぎる。民衆の動きが時代背景に合致したリアルなシーンではあるが、それゆえ微妙になってしまっている。

さらに、シン・ゴジラの会議シーンで得られたリアル感というか納得感は、シン・ウルトラマンではあまり感じられなかった。最終決戦はもっともっと理論が欲しかった。VR空間での会議が見たかった。

以上、話の大まかな流れはシンプルで、わかりやすい。戦闘シーンが多く、派手。ただし、シン・ゴジラを期待するとちょっと違うものが出てくるのは注意。
良い作品ではあるが、パッションが足りない。というより私自身があまり乗り切れていない感じがする。もうちょっとウルトラマンについての下地があれば評価は変わったのかもしれない。

そう思いつつも酷評したいわけではない。かつて読んだ空想科学読本の知識によってギリギリ繋ぎ止められた感じがする。私の中にある小さなウルトラマン感がこの作品をなんとなく面白くしている。
本作鑑賞後に空想科学読本を思い出したという人は結構多いようだ。こういう記事もある。

しかし、シン・ウルトラマンが空想科学読本のアンサーというのは本当か? 身体を支えるにはもっと脚が太くなければいけないんじゃないの? いや、構成する物質が違うから別にいいのか?

というかタブレットで情報を逐次確認してるけど、それらの測定原理は? わざわざ禍特対の連中が現地に行く必要あるのか? その間の被害規模は? なんて心の中の柳田理科雄が抑えきれなくなってきた

ウルトラマンを知らない私ですらこのような形で童心に帰ってしまう。もしかして本作は大人のためじゃなくて子供のための映画なんじゃないか?
ともかく、空想科学読本好きなら見に行って間違いはないだろう。そして鑑賞後には、また空想科学読本に戻ってくるのである。

あの日見たのは知らねぇウルトラマンの考察だったが、今は知ってるウルトラマンの考察だ。知らない時ですら面白かったのだ。今はもっと面白く読める。久しぶりに読んだ柳田理科雄の文章をもって私のシン・ウルトラマンは完結した。

サムネイル画像は公式サイトから


ていうかウルトラマンが人間時に読んでる本レヴィ=ストロースの野生の思考じゃないですか。ちょっとぉ、そういうのやめようよぉ。どうやってこの本にたどり着いたんだろう。読むスピードめちゃくちゃ早いから片っ端から読んでるうちにたまたま出会ったのかな? というか野生の思考を読んでも野生の思考という本は理解できるかもしれないが野生の思考は理解できないと思うぞ。いいのか? いいんだろうねぇ、そういう不器用な感じがさ!

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