正しさと事実が衝突する時、人はどちらを優先すべきか
久々のnote更新でございます、みなさんご無沙汰しておりました。
今日は最近私の中で結論づいた一つの引き出しについてお話しようかと思います。
組織をマネジメントする人、される人全員のお役に立てればと、備忘録も兼ねて書き綴ります。
目次
1. 正しさと事実がぶつかる時
2. コミュニケーションを軸として正しさと事実がぶつかる時
3. 事業を軸として正しさと事実がぶつかる時
4. あとがき
1. 正しさと事実がぶつかる時
つい先日の話です。マネジメントをしている組織で何度か指摘しているミスがあるのですが、そのミスが再発しているのを発見してしまいました。
それを仕組みで防ぐ努力をせず、かつ言いっぱなしにしていた私に大いに責任があるのですが、そのミスはユーザーの信頼を損なう可能性があるもので、私が口をすっぱくして指摘しているのにも関わらず、なぜ何度言っても直らないんだ、と。
正直なところカッとしてしまいました。Slack上でこのことについて指摘し、
「基本的なこともできていないのに小手先のテクニックばっかやっててもユーザーはついてこないよ」(実際はもっと口が悪かった)
というような言葉をSlack上にぶん投げました。
【するとチームリーダー的な人から】
ミスをしてしまった人はもちろん悪気はないですし、少しチームがまとまりきってないこともありしょうがないところもあったと思います。
ですがカッとなっていたこともあり、私は思考すること無く正論をSlack上にぶん投げました。
すると、その人とは別のチームリーダー的なメンバーから一言。
「チームを円滑に回すためという意味で、今の時期はセンシティブなのでこういうことは一旦僕にだけ言ってください。(播磨さんの)高圧的なハンドリングがあまり良い影響を及ぼしてないことは事実なので。」(ちょっと原文いじりました)
これを見たぼくがまず思ったのは
「は?」
血がわーーっとなって、すぐに怒りの返事を送りそうになりました。が、一旦深呼吸。何か言われて腹がたつ時はだいたい的を得ている時。一旦冷静になろうと思い、一度「了解です」とだけ送りサウナにむかいました。
結局サウナで冷静になった私がSlackでごめんなさいして事なきを得たのですが、ではそのサウナの中でどのような思考が行われたのか、せっかくなので記しておこうと思います。
【今回の議題は「正しさ」VS「事実(現状)」】
私は一切間違ったことは言っていません。いわば圧倒的に正しいことしか言っていないわけです。
それに対してチームリーダーが言い放った言葉は現状である「事実」。正しいかと言われると即答はできませんし、間違っているかもしれません。
この「正しさ」と「事実」がぶつかる場面、実は私にとっては今回だけでなく、今までに幾度となく経験してきました。
では私はなぜ今回、自分の過ちを認めて「事実」を尊重したのでしょう。
2. コミュニケーションを軸として正しさと事実がぶつかる時
今回のような「コミュニケーション」の場合において「正しさ」と「事実」がぶつかってしまう場合、経験上必ずと言っていいほど事実を優先すべきです。
もっと詳しく言うならば、事実から導き出される各人の感情値、または感情値から導き出されている事実を優先すべきです。
なぜ言い切れるかというと、かくいう私がこれまで散々に失敗してきているから。
コミュニケーションには公私問わず必ず「人の気持ち」が介在します。その気持ちをないがしろにし、ただひたすらに正しさのみを追求してしまうとそこに人の気持ちが追いつかなくなってしまうのです。
そういう時に必要なのが現状に向かいあうこと。事実と向き合うことです。
「◯◯さんが✗✗をしていない、させるべきだ」
と正しさを振りかざし一時的に仕事をするようになったとしても、させられるほうは気持ちが追いつかず長くは続きません。
短期的な成果を得られたとしても、必ずそのしっぺ返しがくるはずです。
こういった場合は一度「◯◯さんが✗✗をしていない」という状況を事実として受け止め、それがなぜなのか、感情共々考え、解決策を考えるべきなのです。
【正しさという名の諸刃の剣】
正しいことを言い続ければみんなが納得してくれる。正しさこそが絶対的に評価されるべきだ。
マネジメントという仕事をする前にはそのような考えを主軸にしていた気がします。
ですがいくら正しいことを言えど、正しさが伝わらなければ意味はありません。そう考えていた時は多分、正しさという暴力をふるっていることに自分自身気づいていなかったのだと思います。
【正しさは人それぞれ】
またその人にとってそれが「正しいこと」かどうかなんてその人にしか、もっと言えばその人自身にもわからないことかもしれません。
人それぞれが持っている正しさは、その人が育ってきた環境や学んできたことから後天的に育まれるもの。
人的コミュニケーションの場においては人の気持ちを無視して無機質な正しさを追い求めてしまうと、必ずといっていいほどそれはコミュニケーションを瓦解させる要因となってしまいます。(たくさんやってきましたし、今でもやってしまいますが…)
3. 事業を軸として正しさと事実がぶつかる時
ただし全ての場面において「事実」を尊重するわけではありません。
正しさが勝つ、正確に言うならば「正しさを勝たせる」べきという場面は少なからず存在します。
それは対峙するものが「人」ではなく「モノ」、もっといえば「事業」であるときです。
事業というものは一つの軸、いわゆる「ビジョン」というものがあり、それを芯にして推進していくもの。それを新しい人が入ってくるごとに、各人の感情値を加味してふにゃふにゃと曲げてしまうと、チームに軋轢が生じるとともに、進むべき方向も定まらず成長速度が鈍化してしまいます。(ピボットはまた別の話)
そういった「絶対にブレてはいけないもの」に向かい合うときは事実ではなく、「正しさ」を追求すべきだと私は考えます。
例えば一時的に意図せぬところで売上が上がった場合、その事実を元にしてそちらにリソースを集中することもあるでしょう。
ですがそこで短期的な利益を追い求め軸がブレてしまうようであれば、それは必ずといっていいほどその後の崩壊を招く歪みとなるはずです。
4. 何が言いたかったかというと。
まだまだ若輩たるゆえ、上司部下ともどもご迷惑をかけっぱなしです。
ですがこんな感じで、ひとつひとつ学んでおります。間違いだらけだからこそ、間違いを指摘してくれる周囲の人たちには感謝でいっぱいです。
最強になりたい。最強になるためにもご指導ご鞭撻、なにとぞなにとぞ。
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