【読書】雨で予定が崩れた午後【労働】
週末なのでいつものように走ろうと思っていたのですが、なかなか雨が上がらず断念しました。
何が何でも走るガチガチの市民ランナーではなく、むしろランニングシューズがぬれるのが嫌で、雨だと走る気にすらなりません。
午前中に家事。昼前に家族とスーパーで買い物。
昼前に上がる予報に裏切られ、コーヒーを飲みながら読書を。
四十にもなると、労働について本質的に考えてみようなどという機会もなく、久々に学生気分で読書を楽しみました。
副題のように〈労働〉に全てを売りわたすような感覚はありませんし、年齢が上がったせいか、最近は働くことに対して少し余裕が出てきたように感じます。
仕事をしている私はそういう意味では、laborではなくworkに近い感覚ですし、社畜のような働き方をしている自覚はありません(支配―被支配の関係では、自覚されないように上手に支配されていると恐ろしいですが)。
著者が述べているように、資本主義社会に生きていることは私も自覚しています。
持つ者、持たざる者という点からすると、わが家は中の下くらいにプロットされるでしょうが、その尺度で考えなければ悪い人生ではないのではないかと思っています。
noteの記事を読んでいても、どう稼ぐかというものよりも、どう面白く生きているかというものの方に強く惹かれます。
「大学生は消費者となった」という指摘は非常に共感しました。
私自身も文系大学生だったわけですが、採用されるときに何を専攻していたのか、どんな研究をしているのかを面接で尋ねられませんでした(10年以上も前の話になりますが)。
逆に、雑談ではありますが、職場の若手と話していて学生時代にどんなことを学んだのか聞いても、なんかはっきりしません。
学ぶという点においては非常に贅沢な時間だったわけですが、親のお金で時間を買ったと思えば、確かに私も消費をしていたのでしょう。
全体的には非常に面白い本でした。
おそらく講義テキストブックをもとにしている本書はもっと若い読者を想定してたと思いますが、きっと学生の私が読んでも楽しんでいたと思います。
感染症の影響により様々な制限がかかり、これまでにはない労働の在り方が見えてきました。
私は今のところ相変わらず職場に縛られていますが、息子たちの世代はどのように働くのでしょうね。
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