【子育て】世の保護者の方々は呼び名をどう考えたのだろう?我が家の場合
クレヨンしんちゃんでは「ひろし」、「みさえ」。崖の上のポニョでは「こういち」、「りさ」。
我が家では「とうさん」、「かあさん」。
発話するようになった子どもが親をどう呼ぶかは、養育する親が決めています。特に深い意味はないと思います。単にどう呼ばせたいか。
フィクションの世界では「みさえ」できちんと成立していますが、現実の世界では確かめたことはありませんがきっと親を名で呼ぶ子どもはマイナーな存在だと思います。名前で呼ぶことの是非を議論するつもりもありません。
「お父さん」「お母さん」と「お」をつけるほど立派な親だ、と考えなかった私たち夫婦は、長男が「とお」「かあ」と言い出したころに、「とうさん」「かあさん」でいこうとお茶でも飲みながらだったか、買い物に行く車の中だったかでたわいもない話をしました。
もちろん「とお」「かあ」でさえ、子どもが覚えた言葉は私たち夫婦の模倣です。
そして、食事をとるときなど、子どもがいるコミュニケーションの場では、自分の親でもないのに互いを「とうさん」「かあさん」と呼ぶようになりました。これはきっと子育ての場においては子どもの目線で言葉を使う習慣があるからだと思います。私自身の親との関係の中でもそうですし、配偶者の家庭でもおそらくそうだったに違いありません。
きっと野原家だと、しんのすけが父親になったとき、配偶者が同じような感覚・習慣の家庭で育ったのであれば、しんのすけの子どもはしんのすけのことを「しんのすけ」と呼ぶようになるでしょう。
「パパ」「ママ」は私たち夫婦には馴染まなかった。ただそれだけのことをふと思い出して書いてみました。