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忘れたくない夜だった
島根に行って来ますの投稿からかなり時間が空いてしまった。本当は毎日何かしらの記録を残したかったのだけど、そんな余裕は全然なかったな。
今からでも、少しずつ文字に起こそうと思う。
旅の始まり、島根の松江
今回、旅に出る前のわたしはずっと何かに迷っている状態だった。
半年後の自分の動向さえ見えていなくて、周りにこの先どうするかを聞かれては「まだ決めていません」と答えていた。
悶々とした気持ちを見つめるために、いろんな決断を先延ばしにして、ひとまずは外の世界を知ることに決めた。目的地は島根県。
島根に到着した夜、大学の時の先輩と晩ご飯を食べる約束をしていた。その先輩と過去に会ったのはたったの3回。だけど、この人がいなかったら今の自分はいないと思うくらい、影響を受けた人だ。
先輩との出会いは10年前の夏だった。この頃のわたしは、子どもと関わる道に進もうかどうしようか迷いに迷っていた。出会った時の先輩には不思議な包容力があって、初対面ながらも悩んでいることをつい話してしまったのだ。まだ何も具体化されていない、小さなカケラみたいな想いを話しているうちに泣いてしまったことも、恥ずかしいけれど記憶に残っている。
わたしのつたない話を聞いた先輩は「あかねだからやれることがあると思うよ」という、まっすぐな一言をくれた。その言葉にすごく背中を押されたから、前に進んでみようと思った。そんなきっかけをくれた人に、会いに行った。
今も10年前も似たようなことで悩んでいるなあなんて自分に少し呆れつつ、会って話したら昔みたいに泣いちゃうかもなあなんてことも思いつつ。そうこうしているうちに、約束していた時間が訪れた。
先輩と合流して松江の居酒屋に入り、島根のB級グルメの赤天や宍道湖でとれたしじみの酒蒸しを食べながら、近況報告をした。
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前回会った時は約2年前の福島県。そこから今までどんなことをしてきたのか、現在は何をしているのか、どんな状況に置かれているのか、何に迷っているのかの話をした。思った以上に次から次へと言葉が出てきて、だけど涙はまったく出てこなくて、本当に楽しく喋っていた。
普段は自分の話を人にするよりも人の話を聞く機会の方が多いから、取り留めのない話になっていたかもしれない。だけど、先輩はじっくりと耳を傾けてくれた。
そして最後に「今やってることは、他の人たちにはできない、あかねだから出来ている役割だね」と言ってくれた。
その言葉がすとんと心に落ちた感じがした。
もらった言葉の答え合わせ
先輩から10年前にもらった「あかねだからやれることがあると思うよ」という言葉を胸に抱えて生きてきた。この言葉をもらったときからずっと、「自分だからやれること」を探し続けていたように思う。
わたしがやれることってなんだろうなんて探し回るけれどわからなくて、わからないから直感で心が惹かれるものに飛びついて、大事だと思うことをひたすらにやってきた。
それは、今住んでいる町に来てからも変わらないことだった。自分には一体何ができるのかなんてわからない、何も出来ないかもしれない、正解なんてわからない。だけど、だから、ちゃんと目の前の子供のことを考えたい、向き合いたい。そういう気持ちでずっとやってきたし、積み上げてきた。
ただ、今の仕事に対しては「他にできる人がいないから自分がやるしかない」というネガティブな感情を持つときも少なからずあったし、相談できる相手もほぼいなかった。そんな状況がすごく苦しくて孤独に感じることもあった。
だけど、先輩から言葉をもらった途端「仲間がいなくて孤独にやっている」という認識でしかなかった仕事が「自分だから出来ている役割」という向き合い方に変わった。「あかねだからやれることがあると思うよ」の答えをずっと追い求めていたけれど、自分が今まさにやっていることがわたしだからやれることなんだなと素直に思えた。
そう思い直すと、不思議と前向きな気持ちになったんだ。
10年経っての今
他にも先輩からたくさんの言葉をもらったけれど、中でも「無責任なことを言うけどさ」という前置きをしてくれた言葉が心に残っている。
無責任な言葉にこそ、その人のまっすぐな想いを感じることができる。「この人は心から思ったことを言ってくれているんだ」と思えることは、すごくすごく力になる。
10年前のあの日の言葉だって、先輩は何の気なしに口にしたものだったと思う。だけどわたしは、その言葉をお守りのように大事にしてきた。
責任ある言葉が全てじゃないってことを10年越しにまた感じることができて、懐かしくて嬉しかった。10年前も今もそんなに変わらないなと思って安心した。
ただ、先輩と話す中で、10年前と今では全然違うこともあると気づいた。
昔はこの道でいいのかの確信なんてまったくなかったし、自分がしたいことが本当に必要なことかどうかなんてわからなかった。
だけど今は違う。10年分の足跡がある。出会ってきた人たちがいて、その人たちと交わした言葉や気持ちがあって、それがわたしの中に感じてきたものとして積み重なっている。10年前は小さなカケラみたいなものだった想いが、どんどん大きくなっている。
これは、この先を迷う私に対して「それはたくさんカードがあるってことだよ」「ちゃんと積み重ねてきたから選択肢が増えているんだよ」と言ってもらえたから気づけたことのひとつだ。
結局どんな道に進むかの答えは見えなかったけれど、先輩から「どの道を選んでも楽しくやってるでしょ」と言ってもらえて、確かにそうかもと思えた。そう思うだけで、すごく心が軽くなった気がした。
食事をした後は、缶ビールを片手にちょっとだけ松江の町を散歩した。
こんな日が来るなんて、10年前の自分はまったく想像していなかったから、不思議で、でもとても嬉しいふわふわとした気持ちで歩いた。
宍道湖がキラキラしていて、忘れたくない夜だった。