「頑張れ」と言いたくない
応援の言葉として「頑張れ」「頑張って」とつい言ってしまうことがある。
この言葉、言われた方はどう感じるだろうか。
応援されている、期待されていることが励みになり「頑張る」力に変えられるのが、おそらく理想的な「頑張れ」の効用だろう。
だが私は、「頑張って」と言われた時にふと、「今の私は頑張っていないのかな」「私なりに頑張っているのだけど、そうは見えないのかな」「今のままじゃ駄目なのかな」という思いが浮かぶことがある。
言われてこんな風に悩んでしまう表現を、私は安易に使いたくはない。だから私は「あなたが頑張っているということを知っているよ」「頑張ることを楽しめているといいな」という思いを伝えられる応援をしたいと考えている。
素早く簡潔にこの思いを伝えられる言葉については、たぶん今後もずっと模索していくのだろう。
「頑張る」を辞書で引くと、「困難にめげないで我慢してやり抜く」や「精一杯努める」とある。
こうして意味を調べてみると、個人的には、息苦しいという印象がある。
最近読んだパント―・フランチェスコ氏の著書「日本のコミュニケーションを診る」(光文社新書)によると、日本語の「頑張る」と完全に重なる表現を、他の国の言語は有していないそうだ。
似た概念の「努力する」はある。
しかし、「頑張る」が持つ「努力すればなんとかなる(だから頑張れ)」というニュアンスは入らないようだ。
欧米では「努力しろ」よりも「幸運を」という祈りの言葉をかけることが多い。
これは、努力だけではどうにもならない運の側面をフォローする表現であり、努力だけではどうにもならない要素があることへのリマインドでもある。
結果として、うまく達成できれば良し、達成できなくても努力不足などと自分を責めすぎないで済むのかもしれない。
自分自身に対して「頑張れ」を適度に使いながら、応援上手になりたいものだ。そう思いながら、今日も本を読むとしよう。
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