【日記】日記を再開したきっかけと以前の日記の振り返り
きっかけは『さみしい夜にはペンを持て』
これは、この物語の中で日記を書く「おじさん」という登場人物が、言った言葉です。
今の自分が日記を書くことで、『未来の自分』が『あのときの自分』と向き合うことができる、という文脈の中で語られていました。
この部分を読んで、私は心がズキッと痛むのを感じました。
ここ半年ほど、日記を書いていないからです。
元々書いていた日記の話
元々私が日記を書いていたのは、自分の気持ちを吐き出すためでした。
大学時代お世話になっているカウンセラーの方に、
「気持ちを吐き出す日記を書くとよいよ」
というようなことを言われたのがきっかけです。
さらに遡って、高校時代にも日記を書いていました。
しかし、良いことだけ書き、良いことがなかったら何も書かないという調子でした。
「嫌なこと、悲しいことなど思い出したくない、書きたくない」
と思っていたからです。
1日分の枠が決まった三年日記帳だったので、ある日は枠をはみ出しある日は無記述といった体をなしていました。
今思えば、高校のときの自分が何に喜び、何に苦しみ、何を思っていたのか、もっときちんと書いておけば良かったなあ。
2つともこの物語で示されていた日記の定義、
「『今の気持ちではなく』『あのときの気持ち』を書く」
には当てはまらないかなあと思っていました。
しかしこれを機に日記を見返してみたら、以外と当てはまっているのではないかと思いました。
高校時代の日記には、部活のこと勉強のこと、思っていたことなどなどが書いてありました。
書きたい項目を箇条書きにして力尽きている日があるのが当時を偲ばせますねぇ…
大学時代、のは…
ぐちゃぐちゃですね。
おそらく1年時6月頃から半年前くらいまで残っています。
確かに今年度前期アラビア語がしんどくて死んでた記憶しかないので日記は書いてなかったな…
今期(後期)行けるやん!って進歩を感じているので苦労した時期の日記がないのは惜しいなと思います。
未来への自分のプレゼントが欠落しましたね…
日記を再開してみて
前の投稿が、私が再開した日記です。
この本にあったように、スローモーションで自分を観察して書いてみました。
そうしたら自分の感じている感情や感覚をより繊細に感じ取ることができました。
その時は心がパニックな状況の中でこの本を読んでいました。
しかし、そうだこのこと日記にしようと思った瞬間、自分を俯瞰する視点に移行して少し楽になったように思います。
実際にメモとして自分の気持ちを書き出すことで落ち着いていくことができました。
これはマインドフルネスに似ているなあと思いました。
他にマインドフルネス的なものとしては、断続的ですが座禅を続けています。
思えばどちらも、自分の心や余裕を失っているときにはできていないことのようです。
「時間がないからできない」
「疲れているから面倒くさい」
と思ってこれらのことができないのは、余裕が無くなっている指標なのかもしれません。
ゆっくり自分と向き合う時間をつくり、疲れをためすぎない心身を養うことを大切にしたいものです。
書いていた日記を読み返して、実際に書いてみて、楽しさを思い出したので、これからも書いていこうと思います。
紙に鉛筆で手を動かして書く感触も楽しくて好きなので、
紙のノートには個人的な日記、
このnoteにはその一部を切り取って書く、
というような感じにしたいですね。
おわり
この文章も日記の日記のようなものですね。
誰かと小学校以来の交換日記とかしても楽しそうだなあ。