【鑑賞日誌NO.1】大阪松竹座 狂言の会
2月5日、大阪松竹座で行われた「狂言の会」。
先日書き上げた卒論に少し取り上げた《彦市ばなし》が出るということで、緊急事態宣言の下ではあったが観に行ってきた。
全体を通して、茂山千五郎家のパワーが感じられる良い舞台であった。
演目
当日の演目は次の3つである。
釣針(つりばり)
墨塗(すみぬり)
彦市ばなし
以下、簡単なあらすじを紹介しながら、感想を述べたい。
釣針
妻のいない主人と太郎冠者が西宮に参詣すると、望みのものが何でも釣れる釣竿を授けるというお告げがあった。
2人が早速、浜に出て釣針を垂らすと、主人は見事に妻とお側の衆を釣り上げる。
主人が妻を連れて先に帰った後、太郎冠者は残った女たちの中から自分の妻を選ぶと言い、被物を取らせると…。
歌舞伎にも《釣女》として移されている、有名な古典演目の1つ。
女を釣り上げるという一見奇想天外なできごとも、狂言の中で行われると、何だか日常のできごとのように思えてしまう不思議さがある。
女を釣り上げる行為は何度か繰り返されるのであるが、皆がみな素直に釣られる訳ではない。
気性の荒い女もいれば、大勢釣り上げられる時もある。
謡いながら釣り上げる太郎冠者の陽気さ、同じことを繰り返しているようで同じ結果にはならない面白さが味わえる演目である。
墨塗
国へ帰ることになった大名が、都にいる間に馴染みなった女のところへ暇乞いに行く。
女は別れを惜しんで泣くが、実は嘘泣き。
初めは涙を信じていた大名だったが、その嘘に気づき茶碗と墨の入った器を取り換えてしまう。
墨で黒くなった女の顔を見て女の本心を知った大名は…。
女のずる賢さと、強さが伺える演目。
女が「やるまいぞ、やるまいぞ」と言いながら、主人と太郎冠者を追いかけて幕を引く「追い込み」という終わり方。
墨を塗られた女は、いったいその後どうしたんだろう…と考えずにはいられない。
狂言にはそのような「追い込み」で終わる演目が数多くあり、ハッキリとした結論がないというのも特徴の1つだ。
観客の想像に任せるということが、日本の芸能において良い味を出す一因となっている。
彦市ばなし
ほらふきの彦市は、天狗の子から隠れ蓑をだまし取り、また殿様にはカッパを釣ると嘘をついて鯨肉と天狗の面をだまし取る。
親天狗から叱られたら好物の鯨肉を渡し、子天狗が怒ってきたら天狗の面で親天狗に化けよう企てる彦市。
嘘を嘘で塗り固め万事うまくいったと思ったら…。
《彦市ばなし》はもともと木下順二作の民謡劇である。
狂言様式の《彦市ばなし》は、日本を代表する演劇評論家、演出家、映画監督である武智鉄二と、大蔵流狂言師の二世茂山千之丞が共同で演出に当たった。
1955年10月京都大江能楽堂における「狂言を見る会」で初演された作品である。
新劇の《彦市ばなし》は舞台転換の多い演目であるが、それを狂言様式にすると、数少ない作り物だけで様々な場面を表現することができる。
セリフは、原作の熊本弁をそのまま狂言のイントネーションを用いて発語している。
現代語を用いているといえど、会話のテンポやリズム感が狂言のものなので、古典の演目と並べて上演されても違和感がなかった。
彦市と天狗の子が川の中で格闘する最終シーンは、狂言では滅多に登場しない囃子(能管)が登場することで、臨場感のある演出となっている。
また、平泳ぎ・クロール・バタフライを舞の「型」としてアレンジした動きも見られ、視覚的にも楽しめる要素が詰まっている。
今回は歌舞伎の舞台での公演ということで、《彦市ばなし》はうってつけの演目だったのではないかと思う。
能楽堂よりも広い舞台であるが故に、大きな空間を余す所なく使った演出になっていた。
また、初演の《彦市ばなし》では照明などを一切使わなかったらしいが、今回は照明を効果的に使うことによって、場面ごとの焦点が定まっていたように思う。
《彦市ばなし》はなかなか出る演目ではないが、ぜひ多くの人に味わってもらいたい作品である。