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2024

2023年が終わって、2024年という新しい年が始まった。

自分はもう26歳の年になる。


いつからか年を取りたくないと感じるようになり、
それが大人になりたくないという意味から、若さが無くなるという焦りに変わっているのを我ながらすごく感じる。

大学を卒業して社会人になったとき、
新宿のオフィスタワーを見上げて「社会人か…」と大人の仲間入りをしてしまったという辛さとともに、どこかしらで「どんな大人になるんだろう」という期待をしていたと思う。


あの時はまだ若かったんだと今でも思う。

今は普通じゃ終わりたくないという気持ちと若さというタイムリミットが迫っている焦りでいっぱいになっている。


僕は元々レーシングドライバーになりたかった。
レーシングドライバーになるにはお金が必要で諦めざるを得なかった。
これは当時小学3年生の自分にとって不可抗力だったし、どうしようもないと思う。

でも諦めきれなかった。

だから、自転車を始めた。

自転車でレーサーになろうと思った。

現実は甘くなかった。
上には上がいたし、夢で飯は食えないことを知った。
だから、何かモヤモヤしながらも大学卒業とともに就職をした。


社会人3年目になって仕事は慣れたし、
現状不自由ない生活もできていると思う。

けど、自分は夢を諦めたというか、妥協したというか、
そういった人間だし、成し遂げられずにモヤモヤしているんだと思う。
普通で終わりたくないと思っている。


何になりたいの?


って聴かれたら自分でも分からないし、
とんでもなく迷走していると思う。
特に去年。

25歳という年になって、夢を追いかけるのも、何か夢中になるのも手遅れにしたくない!って思った。
「朝起きて仕事してかえってご飯食べて寝て、休日は友達と会って、結婚して…」みたいな普通の人生じゃ嫌だと思った。

だから被写体やったり、MV出てみたり、楽器始めてみたり、動画作ってみたり、
あれこれ手を出しては自分がよくわからなくなって、中途半端で自己嫌悪になっちゃったりして病んだりもした。


そうやって焦って25歳を終えて、今年で26歳になる。
もう若くない。


自分の目の前にある可能性という道が日に日に少しずつ消えていく感覚がある。

確実に、刻一刻と自分自身の消費期限が迫っている。
普通で終わりたくないという抽象的な自分の要望にどれだけ応えられるのかは分からないけれど、思いつくことは全部やって何一つも無駄にしたくない。

後悔しない人生なんてないと思う。
AかBかどちらか選べって、どっちを選んだって後悔することは大なり小なりあると思う。

ただやらずに、言わずに後悔するのだけはしたくない。


2024年はどんな年になるだろうか。

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