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弱者を理想化する職業作家たち
弱者は読者に入りません。
私は憤っている。
平野啓一郎の「本心」や川上未映子の「黄色い家」など、職業作家達がやたらと社会的弱者が主人公の小説ばかり書いていることに。
この前記事にした「マリリン・トールド・ミー」にしろ、何故か上記の小説の主人公達は異性に興味を示すこともなく、ただただ社会の被害者になっている。
でも「本心」の石川朔也も、「黄色い家」の加藤花も、自分の目的のために貯金をすることができる。自制心をもち、自分の意見を持っている。社会にいじめられてはいるけれども、ごくごく普通の人間なのだ。
私は静岡県内の衛生用品を製造する工場に勤めている。
そこで働く労働者たちの中には、まともに生活できるほどの給料をもらっているにも関わらず、ギャンブル、推し活ソシャゲ、スパチャなどで一瞬で溶かす人がそこそこいる。
そんな私も、貯金総額100万もないのに、25万円のギターをうっかり買ってしまった。
お金の使い方が絶望的にヘタすぎて泣きたくなる。それでも、ギターを弾くのはやめられない。わたしが生きていくのには必要なものなのだ。
闇バイトに手を染めるほどでなくても、裏スロットに手を出して、モンクレーのダウンでATMに駆け込む輩もいる。
でも、そういう人たちは小説には出てこない。
小説を読む人は教養のある強者であって、彼らが感情移入できる程度の主人公でなければ、面白く読んではもらえないからだ。
「本心」には性産業で働いたことがトラウマとなって人に触れられない元セックスワーカーが出てくる。
確かに、そういう女性はいないことはないと思う。
だが、彼女が生殖能力のない障がいのある男性とカップルになるあたりが、ただただ気持ちが悪くて。
障がいのある人やトラウマを抱えている女性の気持ちを作家が都合よく解釈している。
そこに、私は憤りを感じる。
性産業に一度入ってしまったら、そこから抜け出せないことの方がよっぽど問題なのに。
ホストに狂う→P活or性産業へ→稼いだお金で整形を繰り返す、そしてホストに貢ぐ
このサイクルの中でうまくいってしまって、自分を蔑めることをやめられない子たちのほうが、よほど福祉やケアが必要なんじゃないだろうか。
自力でやめられる子なんて、普通でしょ。
昼職の方が要領を必要とするのに、給料が低い。身体で稼いだほうが効率がいいのだ。
これがやめられない理由になる。
教養のある人たちがこれらの小説を読んで、社会的弱者を「わかった気」になるというのは問題じゃないだろうか。
そして、弱者は小説など殆ど読まないし、永遠にこういう「わかった気」になった作家が書いた小説が量産されてしまうというわけだ。
弱者ははじめから読者に入らないのだ。
都合の悪い存在は目に入らないんだから。