最近の日記(不定期)2
9月20日 今日見た夢
赦されたかと思ったら、諦められただけだった
9月27日 死体埋めについて
私とあの子の友情がどんな性質のものだったか、どれほどのものだったのか、私の浅い人生経験からはよく分からないが、例えて言うなら死体埋めを手伝うような仲ではあったと思う。例えというか、私は本気だった。あの子が殺して、埋めるのを手伝うのは私。誰をという訳ではないし、あの子が今にも誰かを殺しそうだったとかそういう訳でもない。でももし万が一に人を殺してしまったら彼女は真っ先に、正気を取り戻すよりも早く私に連絡を寄越してくれただろうという自信があった。実際にそういうことを想定していた訳ではないが、あの頃のあの子への気持ちを抽象化すればそんな感じになるだろう。そして私は、どうして殺したのとか、これは誰の死体なのとかそういう無粋な質問をすることもなく、「殺しちゃったんだけど」(人を殺してしまったことを伝えるメッセージの文面とはいったいどんなものなのだろうか)の一言だけで例え夜中の3時だったとしても碌に使ったこともないタクシーに乗って彼女の元へ急いだだろう。もしも動揺したあの子がメッセージを打つのも覚束なければ私は電話で優しく宥めながら家を出る準備をしただろう。もし現場が彼女の住むあたりなら少なくとも都外にはなるからタクシー代も跳ね上がるだろうが、クレカで来月の自分に何とかしてもらうことにする。電車で2時間の距離は、タクシーなら5000円くらいだろうか。もっとするかな。そもそもタクシーでクレカが使えるのかはよく知らないが。私はどちらかといえば善良な人間だが、この時ばかりは法的なことや倫理的なことが頭に浮かぶことは決してないだろう。これまでのSOSとは深刻さがまるで違う、命さえ懸かった状況で真っ先に助けが欲しいと思い浮かべてくれた相手が私だったことへの愉悦。生涯をかけてあの子の共犯者になれることが定められてしまった安心感。いっそ男に生まれていたらもっと確かな形であの子の特別になれたのにと思っていたけれど、今後私の立ち位置に匹敵する相手ができることはない。でも、それももう終わり。そういう関係性に、というよりは人に寄りかかられた状態で、そして自分自身がその事に寄りかかって生きるのことに疲れてしまった。もうこれからは、誰の死体埋めも手伝いたくはない。
9月28日 いつでも思い出せるように、別れの言葉を書き留めておく
ちゃんと伝えられなくてごめんね、でも別に嫌になったからやめるってだけじゃないんだ。私は前に進まなきゃいけない。今までずっと見て見ぬふりをしてきた、やりたいこと、興味があること、頑張らなきゃいけないことがいっぱいあるの。何より、今は全部が嫌いになる前にここを離れたいと思ってる。でもあなたへの気持ちはずっと変わらないよ。あなたのことを一番よく分かってるのは私で私のことを一番よく分かっているのはあなた、これは今もこれからもずっと変わらない。生まれた年も育った場所も全然違うのにここまで何でも分かってしまう相手なんて、後にも先にも他にいるはずがないよ。私のこと、もう信じられなくなったよね。信じようと努力しないと信じられない相手を信じようとしなくてもいいんだよ。もうそういうの疲れたでしょ。これからは少しでも楽になってよ。伝えたいのに伝えられない言葉が溢れて止まりそうにない。私たちはすごくよく似てるけど(っていう話でよく盛り上がったことを思い出すとちょっと泣きたくなる)、出会うよりもずっと前からそうだったよね。それはこれからも変わらない。離れても、私たちの人生はどこかでリンクし続ける。ずっと前から長く伸びて繋がっていた運命の糸を少しのあいだ手繰り寄せていたのが、また元通りに真っ直ぐになるだけ。別に切れたわけじゃない。それにこれからは、今度こそは本当に、私は何があってもあなたの一番の理解者で、味方です。私のことは信じたくなくてもこの言葉だけは宛にして、時々思い出してほしい。だから今はさようなら、どうかお元気で。これからの人生に幸せだと思える時間がたくさんありますように。
9月29日
死体を埋めるだなんてどうかしてる。何のしがらみもない環境で普通に仲良くなって、お互いもっと健康的な重さの気持ちで接することができていたらよかったのに。
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