「教科書が読めない」というより「読まない」

 福井新聞が3月4日の論説に以下の記事が投稿した。

 教科書が学習の基本なのは言うまでもない。ところが、その教科書さえ中高生の多くはちゃんと読めていないという。そんな調査結果を盛り込んだ本が先に刊行された。
 教科書は当たり前の日本文で書かれている。それでも意味が分からないというから、読解力不足は深刻だ。これでは、国語に限らずあらゆる教科の学習に影響する。それどころか論理的な会話が成り立たず、社会生活を送る上でも困る恐れがあると著者は指摘している。
 新学期を来月に控え、教育関係者ばかりでなく皆が知っておきたい問題である。(教科書が読めない 中高生の困難認識しよう | 論説 | 福井新聞ONLINE,http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/301306,2018年3月4日 午前7時30分より抜粋)

 私は読解力不足が問題なのかという点で、疑問を感じる。理由は、教科書の内容は難しいだけでなく、面白くもないからだ。さらに、解説や問題設定が少ないため、自学自習がやりにくい。何故なら、授業でその部分を補う必要があるからだ。しかし、授業も分かりにくい場合はどうだろう。あるいは、独学で進めたい場合だ。正直、教科書を使うより入門書的位置付けの参考書や、問題集を使った方がまだやりやすい。それに、現状日本の勉強への動機付けの大部分は受験合格である。大手予備校に通う生徒は教科書よりも予備校のテキストを主に使って勉強するのではないだろうか。

 以上のことを踏まえれば、教育の構造・教科書・授業の質を改善すべきということは明らかである。生徒の読解力が下がっているのではなく、教育のあり方が間違っているのだ。

 教育界の変革があまりにも遅い。誰のための「学び」か、考え直して欲しい。


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