戯曲と演劇の関係性について③
「新劇は西洋演劇の模倣である」「新劇が日本の演劇を歪めた」という言説があります。
その言説の理由としては、当時の新劇劇団は西洋文化に憧れるあまり西洋一辺倒になり、日本古来よりあった独自の演劇(伝統演劇)を完全に切り離してしまったから、と言われています。
本当にそうなのでしょうか。
そもそもですが、日本は明治と戦後、二度にわたって自国の文化や慣習を否定します。
そして、国民の大半が何の疑問もなくそれを受け入れます。日本は非常に集団心理(世間体)、ポピュリズムが強い国であると言えます。
明治維新が日本の大転換期であったことは間違いありません。
はじめて触れる西洋文化に人々が強い憧れを抱いたことも確かでしょう。
しかし、ここで言う「西洋文化」とは「民主主義文化」であり、「資本主義文化」とも言い換えることができるものでした。
それはやがて「グローバルスタンダード」と言われるものの嚆矢であり、民主主義社会への転換を行えない国は、西洋列強の属国として支配されてしまうという危機的状況でした。
その中で新劇のみならず、日本は「西洋文化」を模倣したのではなく、民主主義・資本主義化を行ったと言うべきだと僕は思います(それが上手くいったかはまた別の話です)。
新劇が必死に「模倣したとされるもの」は民主主義社会の落とし子である「個人」を演じるための演劇です。
それは確かに模倣だったのかもしれませんが、それが日本の演劇を歪めたとは思いません。
日本文学における候文から口語文(言文一致体)への転換は、演劇の西洋化とまったく同じことだからです。しかし、日本文学が明治の文豪によって歪められたとは言われていません。
極論ではありますが、新劇が西洋演劇の模倣であるなら、夏目漱石も西洋文学の模倣であると言えます。
少し戻りますが、そもそも当時の新劇は「西洋の模倣」とは言い難い状況だったことは少し調べてみるとわかります。
坪内逍遥の翻訳したシェイクスピアは歌舞伎調で書かれ、演じるのも歌舞伎俳優でした。
例えば、レスリングを相撲と訳していたりと、日本独自の文化に置き換え、何とか西洋というものを理解しようとした苦労が伺えます。
まったく未知の世界だった西洋文化というものを必死に学び、自国にある類似的なものと置き換え、何とか民衆に伝えようとしたのが当時の「新劇劇団」だと僕は思っています。
啓蒙的だったのも、「民主主義」「資本主義」「個人主義」そして、新しい「自由」という概念を伝えなくてはいけないためです。
僕はそう理解しています。
新劇に問題があったとすれば「民衆」のための演劇を「貴族的」な芸能にしてしまった事ではないでしょうか。
それは批判する必要があることだと思っています。
この新劇の「貴族性」「権威性」が戦後、アンダーグランド演劇を生み出すわけです。