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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)⑦

 胸の奥にある、小さく、硬く、冷たく、黒い石。つらさ、悲しさ、情けなさ。心の傷は、今も記憶の底にあった。こんなことでもなけりゃ、忘れて、いや忘れたふりをして、暮らしていけたのに。記憶そのものはあいまいになっていても、あの時の気持ち、つらさは薄れていない。あの時そのままに、気持ちだけが残っている。10歳の頃は世界の、人生のすべてを覆い尽くしていた、つらさ悲しさが、今は心の中で小さな石になっている。それは、昔のいじめを忘れた訳でも、つらさが薄れた訳でも、ましてや許している訳でもない。

 ただ長く生きたからだ。いじめの後も、他にも、つらく悲しいことがどんどんやってきて、大小さまざまの石となって、心の中に転がっている。心の傷は、冷たい石となって、すべて残り、積み重なっていく。10歳の頃のいじめの記憶は、相対的に小さく見えるだけで、気持ちは何も変わっていない、と思う。

 いじめられた時の心の傷は、おそらく永遠に消えることはない。心の中に残り続ける。それでも、元いじめられっ子が、笑ったり、喋ったり、他の人と変わりなく暮らしているように見えるなら、そこに至るまで、いじめの記憶を圧殺するための長く辛い年月があったということ。忘れている訳ではない。消えたり、薄れたりすることもない。指で触れれば、また血が流れ出す古傷。許せるわけではない。

 忘れるのは常に、いじめっ子の方だ。いじめっ子たちは、自分がしたことをた易く忘れられる。心が痛まないから、記憶に残らない。大したことないと片づける。それは、いじめっ子の世界では大したことないんだろう。いじめっ子といじめられっ子では、同じ事件であっても、見たもの感じたものが全然違う。それが彼らには理解できない。自分と違う者が、同じ人間であるという感覚を永遠に持ちえない。

 だとすれば、元いじめられっ子は、元いじめっ子と一緒にいたくない、と思うだろう。同じ場所で暮らしたくない。しかし、そういかない場合はどうするのか? 元いじめっ子の、そして、それにつながる存在自体が心の傷を呼びさます。元いじめっ子を連想させるもの全てが苦しみであり、彼らが幸せであるほど、自分はなぜ苦しみ続けなければならないのだろう、と悩むだろう。

 先に紹介したネット漫画で、いじめられっ子の母親は「ニコニコ楽しそうにするのはやめたら? 不愉快」と言った。これは、いじめられた側の気持ちの発露だ。わたしと、わたしの娘は、今も苦しんでいるのに、加害者側は少しも苦しまずに生きていくなんて、理不尽だ。

ーー 気持ちはわかるけど、それは無理だよ。

(⑧に続く)

 

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