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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)④

「なんで(小山田圭吾なんて)サブカルをオリンピックの開会式の音楽に採用したのか」という発言があった。フリッパーズ・ギターをサブカルと言ったら、Jポップもアニメもみんなサブカルチャーじゃないの? それが今、世界で人気がある、憧れの日本文化の代名詞になっているんじゃないの? 何が、オリンピックにふさわしい、日本のメインカルチャーなの?

「彼らの音楽はサンプリングも多い」 知らない人が、この文だけ読んだら、小山田圭吾は単なるパクリ屋だと誤解されそうだ。サンプリング多用なのはアルバム「ヘッド博士の世界塔」だけだし、しかも当時は、HIPHOPなど、サンプリングが大流行している時代だった。サンプリングという手法が拓いた、新しい音楽は間違いなく存在する。彼らの音楽に洋楽の影響が強いことを言っているなら、洋楽の中で「ネオ・アコ」というムーブメントを選択したことこそ、彼らの独創だと私は言いたい。洋楽の影響が強いから価値が低いというなら、山下達郎も、ドリカムも、みんなパクリになってしまう。

「洋楽テイストが強いのは、彼らがお坊ちゃんだったから」 まあ、確かに小山田圭吾も小沢健二もお坊ちゃんだろうけど、そうでなければ、大量に最新の洋楽を聞くのは難しい時代だった。何せ、今や全国にあるタワーレコードが渋谷にしかなく、そこから英米のニューウェイブの影響の強いお洒落な、フリッパーズギターのような音楽が「渋谷系」と呼ばれたくらいだから。当時30年前は、SNSはなく、ネットも未発達で、東京と地方の文化格差は本当に大きかった。

 だから、このいじめ問題で、小山田の音楽がオリンピックの開会式から除外されたのは、ファンとして残念だ。まあ、これで、国家的、公的な仕事は一生できないでしょう。でも、それでいいんじゃない? フリッパーズギターの時代から、極私的な心情を歌ってきた彼には、国家を背負う仕事なんて似合わない。なぜ、オリンピックの開会式の仕事なんて受けたの。らしくないよ、小山田。

 小山田圭吾がオリンピックの開会式の音楽担当にふさわしいかどうかは、あくまで、このいじめ問題だけで判断すべきだ。障がい者に対する、いや、障がい者でなくても、いじめは絶対ダメだし、いじめを許容する思想の者が、オリンピック・パラリンピックの顔の部分を担当するのはふさわしくない。対外的にも問題だ。

 ただ、小山田がいじめの加害をしたのは、今現在ではなく過去である。凄惨ないじめをしたのは、今52歳の彼の小中学生時代だから、ほぼ40年近く前のこと。その悪質ないじめを反省もなく、むしろ露悪的に告白したインタビューが25年前ぐらい。過去の過失で人を裁くのは、許されるのか?

 思えば、この東京オリンピックに関しては、差別思想によるドタバタ辞任劇が繰り返されてきた。森喜朗の女性蔑視発言しかり、女性タレントの容姿をバカにしたような演出プランしかり。ただ、これらの発言・行為は、「今」なされたこと、「今、現在」そういう差別思想の持主であることが明らかになったのであり、だから今、オリンピックの顔になること、関わることはふさわしくない。

(⑤に続く)

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