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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)⑧
過去のいじめ加害に対して、罰を与えることができることはほぼない。今回の小山田圭吾の例はレアケースだ。
いじめた側は、何も罰を受けることはなく、したことを忘れ、苦しむことなく生きていく。一方、いじめられた側は、心の傷を抱え、苦しみ続ける。ネット漫画の被害者の母のように、こっちはまだ苦しんでいるのに、楽しそうにしないで、顔を見せないで、と抗議したところで、人の心や行動を制限することはできない。思うように変えることはできない。
年月を経て、私は小学校時代と同じ住所に住んでいる。そして、元いじめっ子たちの多くが、同じ地域にいる。つまり、つき合いが生じる。
彼らの顔を見るたびに、胸の奥の何かが疼く。
いい大人になった彼らは、仕事や地域のことを頑張っていて、話せば、いい男であり、周囲に愛され、うまくやっている。一応、人生の成功者なんだろうな。地域のつき合いの中で、私も彼らも、過去のいじめのことなどなかったように、話し、笑い、共同して作業をする。それでも、彼らの基本的な性格は変わっていないので、いじめっ子時代の片鱗が端々に現れて、私はつらくなる。また、いじめられるのではないか、と怖い。
ねえ、私の胸の奥にいる10歳の私、インナーチャイルドよ。もし可能なら、私も小山田圭吾のように彼らを糾弾したいかな? 土下座して謝らせたいかな?
ーー いいね。可能なら、彼らにも苦しませたい。スッキリするかも。
それで君(10歳の僕)は、苦しまなくなる? 幸せになれる?
ーー ううん、あの時あったことはそのままで、心の傷は残るよ。
いじめられていた時、ずっと復讐することを考えていた。しかし、それはできないし、できてスッキリしても、あの時の日々は還ってこない。苦しみは癒されない。ただ、あの時のつらさ苦しさに蓋をして、見ないようにして、ただ今を生きるしかない。今を幸せに楽しく生きられれば、過去の心の傷が癒えるわけでもないが、今を生きることはできる。元いじめっ子たち、過去を忘れ、苦しむことも罪悪感を持つこともなく、のうのうと生きている彼らとも、そのことは見ずに、今の彼らだけ見て、新しい人間とつき合うようにして、つき合うしかない。
(⑨に続く)