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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)③

 大学の友人の影響で、ザ・スミスやらキュアーやらエコー・アンド・ザ・バニーメンやらのブリティッシュ・ニューウェイブ・ロックにすっかりはまっていた当時の私は、雑誌「ロッキング・オン」で海外アーティストのロングインタビューを読んでいた。就職してからは、国内アーティスト中心の「ロッキング・オン・ジャパン」へと興味を広げていた。その頃出合った、カッコいいジャパニーズ・ロックのなかに、フリッパーズ・ギターがあった。フリッパーズ・ギター(略してパーフリ)は、めちゃめちゃ流行っていた。どこかの雑誌の特集で、東京スカパラダイスオーケストラと並んで、女子高生に一番人気の音楽ユニットとして、取り上げられたこともある。

 フリッパーズ・ギターは、1989年に、小山田圭吾と小沢健二の二人のギターユニットだ。デビューアルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』は、全曲英語歌詞の曲で、当時イギリスで、ニューウェイブの流れの一つでして出てきた「ネオ・アコースティック」(アズテック・カメラとか)の音楽を展開して、一部で話題となる。

 セカンド・アルバム『CAMERA TALK』は全曲日本語になったものの、前作のネオアコの基調を引き継ぎながら、スミスやスタイル・カウンシルを連想させるブリティッシュ・ロックの影響を受けて、さらに音楽性を広げた。このアルバムに収められている、彼らの最大のヒット曲『恋とマシンガン』。このひねくれた愛情表現、突き放した感じ、お洒落さ、疾走感に、私はあっという間に心をつかまれた。

 サード・アルバム「ヘッド博士の世界塔」では、一変してレイヴ・カルチャーの影響と、彼らが好きだった音楽からのフレーズのサンプリング多用の「サウンド・コラージュ」になり、そして、突然の解散。それぞれ小沢健二(オザケン)、コーネリアスとしてソロ活動をはじめ、そこでもヒットを飛ばした。

 私のスマホのMUSICに、フリッパーズギター、小沢健二、コーネリアス、そして彼らの影響を受けたバンドの曲まで全部入っていて、笑ってしまう。今でもローテーションで聞いている。そして、爽快感は変わらない。アルバム全曲を英語歌詞で歌ったのは、おそらく彼らが初めて。彼らは後に、イギリスなどのネオ・アコ・アーティストらとコンピレーションアルバムも作っていて、洋楽とつながった日本初の音楽という感じが凄くした。たった二年の活動でフリッパーズ・ギターは解散したが、その後、フリッパーズ・フォロアーというべきバンドが次々出た。フリッパーズ・ギターは、日本のロック史、特に、オルタナティブ・ロックの分野には、確かに影響を残した。と私は評価している。

 だから、このいじめ問題で、彼らの音楽性を低く見るコメントを見ると、私は腹が立つ。

(④に続く)


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