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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)⑥

 このマンガを読んだとき、作者いじめ加害者側の気持ちも、被害者側の気持ちも「わかる」と思ってしまった。なぜか、はこれから書くが、ここで一つ指摘しておきたいのは、元いじめられっ子と元いじめっ子が同じ世界で共存していかなくてはならない、という現実だ。

 もう一つ、この小山田いじめ問題について、ネット上で色々な発言がなされている。一番私の印象に残ったのは、次の発言である。加害に向き合えない小山田圭吾よ、君の音楽など二度と聞かない。今までに得た音楽収入から被害者に賠償して、土下座して謝罪せよ、と。

 この筆者は、元いじめられっ子だ。この主張は、小山田を糾弾する側の代表だろう。さて、私はもう小山田圭吾の音楽は聞かないか? 彼に賠償させて、土下座して謝らせたいか? 自問した時、ある記憶が蘇ってきた。

 曇り空の下、だだっ広い田圃の真中を走る一本道を、一人泣きながらランドセルを背負って歩く、男の子。家に着く前に泣き止もうと、泣きじゃくりながら、呟いている。「なんでボクばっかり……なんでボクだけ(いじめられるの?) こんな目に遭わされるの?」

 泣いているのは私だ。10歳の私だ。

 私は小学生の頃、いじめられていた。10歳の時に転校したが、そこでもいじめられた。同級生の悪ガキたちに、帽子や文房具を取られ、返せよと迫っても、笑いながら取ったものをパスし合って、返してくれない。わめきながら追いかける私を、クラスの女子が笑って見ている。悪口を面と向かって言われるのは当たり前。靴を隠されたこともあったし、尻を蹴られて田圃に突き落とされたこともあった。他にもまだまだあった筈だが、よく思い出せない。この頃のことを忘れようとした、長い年月があった。

 いじめは小学6年生くらいから収まってきたものの、心の傷は長く残った。

 その後、高校生になって、別の高校に行っていた、当時のいじめっ子の一人とたまたま出会い、こう言われた。「あの時は、お前も悪かったんだぞ。授業で手を挙げて、ぺらぺら喋ったりして」 

 確かにそうだった。いじめっ子たちは、それが気に入らなかったのか。私は幼い頃から本が好きで、家で図鑑を読んでさえいればご機嫌だったし、教科書は授業前に全部読んでしまって、参考書まで読んでいた。授業の時、手を挙げて「先生はこう言われましたが、この参考書には○○と書いてあります」というような子供だった。

 高校生の私が思い出してみても、穴に入りたいほど恥ずかしい。そんな奴がクラスにいたら、ムカつく。と彼らの気持ちがわかるような気がした。

 今の私から見れば、いじめっ子たちも、いじめられっ子の私も子供だったのだ。子供だから、遠慮とか、自分と違うものへの配慮はない。ただただ、自分の好きなこと、得意なことを自慢したい、披露したくて、たまらない。私は、本で得た知識をとくとく喋りたくて、それに先生方が凄いねと反応してくれるのが、楽しくて仕方がなかった。いじめっ子たちは体育が得意で、マット体操や野球やサッカーでクラスメイトの喝采を集めていた。私はボール一つまともに投げられない、悲惨な運動能力で、彼らからすれば「なんでこんなこともできないの」とバカにするのも無理ない。そんな奴が授業では、自慢げにとくとく喋る。腹が立つ、苛立つ。とにかく、当時の私は、いじめの対象になりやすい、悪目立ちする子だったのだ。

 な、わかるだろ? 今の大人の自分が、胸の奥にいる10歳の自分に語りかける。それはそうかも知れないけど、と10歳の自分は反論する。あの時、なんでボクだけ、なんでボクばっかり、と泣いた悲しさ、つらさ、理不尽さ、は消えないよ。

 そうだ、あの時の心の傷は、何十年も経った今でも残っている。世界とか、人生とかの全部に絶望した。暗く閉ざされた思い。私は、人間恐怖症になり、無口になり、友達は今に至るも少ない。人格形成にしっかり影響が残っている。「なんでボクばっかり」と泣きじゃくった、10歳の自分は今も、胸の中にいる。胸の奥に、小さく、硬く、冷たい石のようになって、ある。

(⑦に続く)


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