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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)⑭
ふー、これでようやく、小山田いじめ問題を知ってネットの反応を見て、思ったこと考えたことを全部書き終えた。長かった。書き終えたが、スッキリしない。
これまで書いたことを要約すると、
・小山田圭吾が過去にしたいじめと、それについて雑誌インタビューで反省なく語ったことは憎むが、フリッパーズギターやコーネリアスの音楽は好きで、これからも聞きたい。
・いじめられっ子の心の傷は一生残るのに、いじめっ子からの謝罪もないのに、元いじめられっ子は元いじめっ子と共存し、うまく暮らしていかなくてはいけない。
・人間は「いじめっ子」と「いじめられっ子」に二分されるのではなく、誰にもその両面があり、誰もがいじめの加害者にも被害者にもなり得る。
・小山田問題は、当時の時代背景全体の中で考える必要があり、決して特殊者異常者だけの問題ではない。
いずれも何だか矛盾めいた命題で、スッキリしない。こういうのが、大人の知恵、分別というものかも知れないが、私のなかの「いじめられていた、10歳の私」は納得できない、と言っている。
「なぜ、いじめられた方が、こんな風に理性を働かせ、自制心や意志力を要求されるの? しかも、大嫌いな、いじめっ子のために!」
だったら、小山田圭吾のように、徹底的に追い込んで、いじめっ子たちを破滅させたいかい? それはスッキリするような気がするが、本当は心の傷が癒えるわけではなく、また、いつか傷みだすのだと、分かっているんだろう?
元いじめられっ子が、心の傷を乗り越え、社会の中で、強く、楽しく、幸せに生きていくには、どうしたらいいのか?
と考えていた時に、YouTube(中川翔子の「ヲ」)で、中川翔子さんがフリーザにコスプレする動画を観た。こんなにも美しい、しょこたんが、芸人の罰ゲームでもないのに、白塗りして全身タイツを着て、フリーザになりきり、ノリノリでなりきり小芝居までしている動画。笑った、腹を抱えて笑った。しょこたんが反復横跳びをする動画も観た。ありえないぐらい下手くそ、運動神経悪くて、これも大笑いした。
大人の私も、中にいる子どもの私も、こういうのが大好きだ。涙が出るほど大笑いしてスッキリした後、方向性が見えた、と思った。
(⑮に続く)