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《新世界通信》6 小山田いじめ問題について(長っげーよ!)⑤

 過去にいじめをしたが、今は反省し悔い改めている人間を、過去をほじくり返してまで糾弾するべきだろうか?

 小山田圭吾については、彼が悔い改めているから許してやれ、とは言わない。その可能性は低いから。ネットによれば、90年代の彼のいじめ告白はこれまで三回炎上しているが、一度も、謝罪や反省、後悔の類の発言はなかった。今回のオリ・パラで問題になって初めて謝罪文を発表しても、形だけの謝罪とみられても仕方がない。

 それでも、彼の内面が、いじめ告白をした時から25年経った今でも、いじめっ子のままなのか、疑問は残る。数十年経っても成長しないのか? 人の心がわかるようにならないのか? そうだとしたら、悲しいことだ。小山田の内面はわからない。誰だろうと、人の内面を推測で裁くことは許されない。裁くことができるのは、行為・発言だけだ。

 それも現在のことに限定すべきだ。人は、弱く、愚かで、いつも間違う。過去の過ちは許されないのだろうか? 反省し、謝罪し、今同じ過ちを繰り返していないのであれば、不問にしてもいいのではないか?

 とも思ったが、そう簡単ではない。小山田問題を知る少し前に、あるネット漫画を読んだ。(漫画自体は見つかりませんでしたが、恐らくこれが、元記事 → https://select.mamastar.jp/453406 )

 作者の娘が学校でいじめをしていた。作者も娘も、被害者のクラスメートとその親に謝罪した。それから、娘はいじめはしていないし、解決したと思っていた。ところが、作者が授業参観に行き、ママ友と談笑していると、いじめ被害者の親に「参観に来てニコニコ楽しそうにするのはやめたら? 不愉快」と言われた。謝ったのになぜ? 一生許されないの? 

(⑥に続く)


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