肩の力を抜くことの難しさ
「もっとリラックスして」
私は人からこう言われるのが苦手だ。現代社会を生きていると、なかなかリラックスして日常生活を送ることは難しい。
私はこれまで特に気にしたことがなかったが、基本的にいつも肩やあごに力が入っていることに気付いた。きっかけは1年前から始めたピラティスの先生に指摘されたことだが、振り返れば歯医者でも力みすぎだと指摘されたことがあった。もしかすると歯ぎしりや頭痛持ちなのも影響を与えているのかもしれない・・・。
身体的なこともあるだろうが、個人的な性格や考え方が影響している気がする。私の場合は自分では望んでいないが、「真面目だ」とよく言われ、ユーモアのある言動はなかなか思いつかない方だ。私だって面白い話は好きだし、生真面目はつまらないと思う。真面目に振舞っているつもりはないのに、どこにいてもそういう印象を持たれてしまうのだ。
学校の集団生活の影響
振り返ると、小学校高学年くらいまではわりとヘラヘラした言動をしていたと思う。ただ、思春期に入り、自分のヘラヘラさは特に周囲からして面白そうでもないし、一部の人はイライラさせているような気がし始めていた。いわゆるめんどくさい友達になっている気がしていた。
中学生になると、周囲も一気に大人びて、友達関係も繊細で敏感になってくる。私のクラスでは同じ部活動の女子グループで行動していたから、「このグループで嫌われたら終わりだ」という思いが強かった。そういうところから、「○○が楽しい」とかよりも、「みんなに嫌われないように」という思いが優先順位のトップになった。
さらに中学生ともなれば、なんとなく自分の「キャラ」が設定されてくる。その時には私は周りの様子や機嫌を伺い、緊張感のある毎日を過ごしていたから、自然と「不思議キャラ」「真面目キャラ」あたりに落ち着いた。
すっかり身に染みついた緊張感
たまに外と内の顔をうまく使い分け、社会生活では緊張感を持っていても、家族や気の知れた仲間内ではリラックスできる人がいるだろう。
私もこの要素を少しは持っていると思うが、リラックスして良い場面でも、力の抜き方が分からないようになってしまっている気がする。自分の中では100%中、今は60%のパワー出力だと思っていても、周囲からは「もっと気楽にやりなよ」「肩の力を抜いて」と言われてしまう。
バカな話だが、人前で気を抜くと一気に昔の嫌われがちなヘラヘラ小学生が100%戻ってくるような気がするのだ。そうなれば仕事でも友人関係でも一気に失敗しそうだ。
無意識的だが、そうした怖さから緊張感を手放せずにここまで来てしまったのだ。
意識して力を抜いてみる
さて、私も漠然ともっとリラックスした人間になりたいと思っている。0か100かのパワー出力ではなくて、気を抜いてもよい部分を見極め調整していきたい。そのために、最近意識しているのがこの2つだ。
呼吸をすること
第三の視点で客観的に見ること
「呼吸」については、当たり前のことではあるが、私は日常生活でうまく出来ていないようだ。気が付くと吐きっぱなしの呼吸が続いていたり、呼吸が浅い状態が続いている。この自分の呼吸についてもピラティスを始めて気づかされた。呼吸に意識を向けると、肩の力がすっと抜ける。また忘れたころには浅い呼吸に戻ってしまうが、頻繁に意識を向け「習慣化」を目指したい。
二つ目の「第三の視点で客観的に見る」ということについては、特に緊張感の強いシチュエーションで有効だ。面接の場でもよいし、期限のある仕事に追われている時でも良い。何かに集中しなければならない時、どうしても視野が狭くなり焦りを感じ緊張緩はエスカレートしてしまう。そういった時に自分を俯瞰的に天井から第三の目で見ると、視野が少し広がり落ち着いた判断ができることが多い。
こう書いているが、私もまだまだ毎日の緊張感からは抜け出し切れていない。上の2つを見つけたように、今後もトライ&エラーを繰り返しながら緊張感と付き合っていきたい。きっと自分なりの付き合い方があるはずだ。